宣教メッセージ

2026年8月2日東村山キスト教会主日礼拝 説教要旨

<神があなたに報いる マタイの福音書6章1~4節>
『施し』(2節)とは、「人を助ける愛の働き」と言うことができます。『施し』とは、私たちに親しいことばとして、「援助」「支援」「介助」「看護」「ボランティア活動」と言い換えることのできることばです。イエス様は、「人を助ける施し(愛の働き)」について、『神があなたを報いる』と教えています。
人に見せるための施しでなく、神の御前で隠れた施しをする。
1.人に見せるための施しでなく
イエス様は、マタイ6:1~18で、ユダヤ人の三大『善行』(施し、祈り、断食)にも、私たち人間の罪が入り込むことを教えています。人を助ける施しにも、人に見られるための偽善という罪が入り込みます。『偽善者』(2節)ということばは、ギリシャ語で見ると、「仮面芝居の役者」という意味のことばです。外見的には、人を助ける施しをしていても、内面の心は、人に見られ、ほめられ、感謝されることを願っているならば、それは「偽善」です。『人に見せるための善行』(1節)の『見せる』ということばは、ギリシャ語で見るならば、英語のシアター(劇場)の語源になったことばです。つまり、劇場でスポットライトを浴びながら、人を助ける施しを演じるのが、「偽善」です。『人からほめてもらおう』(2節)の『ほめる』ということばもギリシャ語で見れば、『栄光を与える』ということばです。人を助ける施しをしている自分に栄光を集めようとする。そのために『自分の前でラッパを吹く』(2節)ことが、「偽善」です。
人を助ける施しが、損得勘定になることに注意しなければなりません。人からほめられ感謝されることを目的とし、この世で報いとして受け取ったならば、領収済みです。神様からの報いを期待することはできません。人に見られるための偽善の施し、損得勘定の施しには、神様からの報いはありません。
2.神の御前で隠れた施しをする
イエス様は、人を助ける施しをすることについて、『右の手がしていることを、左の手に知らせないようにせよ』(3節)。実行不可能なことを教えています。イエス様は、私たちが施しをする時に、周りの人を意識しないばかりか、自分自身を意識しないことを教えたのです。私たちが施しをする時、自分自身を意識しないことは、やはり私たち罪人には実行不可能なことです。ロイド・ジョーンズは、施す時に自分自身を意識しないために、「神様を愛する愛に没頭する」ことを教えています。キリストの十字架の死と復活を謙遜に仰ぎ見て、罪の赦しに感謝し、神様の御心を謙遜に求め従うのです。自分を喜ばせることでなく、神様を喜ばせることに心を向けようではありませんか。
神の御前で隠れた施しをすることで、神様からの報いを受けることを、大いに期待しようではありませんか。私たちの愛するイエス様が、天の御国で、『良い忠実なしもべよ、よくやった。主人の喜びを共に喜んでくれ』(マタイ25:21)と言ってくださるのです。
関連聖書箇所
◎マタイの福音書25章40節
40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』

◎マタイの福音書25章21、23節
21 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

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