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2024年2月25日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<失われた者の救い ルカの福音書19章1~10節>
私たちは、自然災害で、人生の挫折で、死別で、人との別れで、自分自身を見失い、人生の迷い子になってしまうことがあります。私たちだれにとっても、自分自身を見失い、人生の迷い子になる体験は、時には生きる死ぬに関わる、辛く不安な体験です。イエス様は、自分自身を見失い、人生の迷い子になった者に、『失われた者の救い』を教えています。私たちは失われた者であったが、救い主が捜し出し、私たちは救われた者となる。

1.私たちは失われた者
『ザアカイ』(正しい人、義人)という名前とは裏腹に、ザアカイはエリコの町の『取税人のかしら』で、人々から奪い取ったお金で大金持ちになった人物でした。ザアカイは『背が低い』ことから、「劣等感をバネにして」、エリコの町の取税人のかしらまで上り詰めた人物ではなかったかと思います。エリコの町の人々は、金持ちになったザアカイに、一目置くことも尊敬することもなく、毛嫌いしていたのです。劣等感に支配され動かされて生きてきたザアカイは、自分自身を見失った、人生の迷い子でした。ザアカイはエリコの町の人々に邪魔されても必死にいちじく桑の木に登って、イエス様を見ようとしました。私たちも、エリコの町の盲人のように、ザアカイのように、「ダビデの子(救い主)イエス様、私をあわれんでください。自分自身を見失った、人生の迷い子の私を救ってください」、と叫び求めようではありませんか。

2.救い主が捜し出す
イエス様は全知全能の神様として、初対面のザアカイの名前だけでなく、ザアカイが何にもがき苦しんできたのかも知っています。そしてイエス様は初対面のザアカイに、『今日、あなたの家に泊まらなければならない』(5節、直訳)と声を掛けられたのです。初対面の人に非常識に思えることばです。イエス様は、父なる神様の御計画に従って、『~しなければならない』と言うことばを繰り返し使っています。ザアカイを人生の迷い子から救い出し、罪を赦すために、ザアカイの罪の身代わりとなって、イエス様は十字架で死ななければなりませんでした。そして三日目に死から復活しなければなりませんでした。そして、イエス様はザアカイの心に留まらなければならないのです。イエス様は、自分自身を見失った人生の迷い子のあなたを救い出すために、『今日、わたしはあなたの心に留まらなければならない』と声を掛けています。

3.私たちは救われた者
ザアカイは喜んでイエス様を自分の心に迎え入れたのです。劣等感に支配され動かされた人生でなく、イエス様の後に従い生きる喜びの人生が始まったのです。あなたも、ザアカイのように喜んでイエス様をあなたの心にお迎えしようではありませんか。『人の子(イエス様)は、失われた者を捜して救うために来たのです』(10節)。

関連聖書箇所
◎詩篇139篇13節
13 あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。
◎詩篇139篇16節
16 あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。
◎ルカの福音書9章22節
22 そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。
◎ルカの福音書17章25節
25 しかし、まず人の子は多くの苦しみを受け、この時代の人々に捨てられなければなりません。
◎ルカの福音書24章7節
7 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」
◎ルカの福音書24章26節
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
◎ローマ書8章37~39節
37 しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

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