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2023年7月30日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<神の国の食卓に着くために ルカの福音書13章22~30節>
私たちは、この世界で、「受験勉強」「資格試験」「金メダル」など、「狭き門」を目指して努力します。しかしこの世界から神の国(天国)を目指すことについては、「狭い門」でなく、「広い門」と考えていないでしょうか。イエス様は、『神の国の食卓に着くために』、『狭い門から入る努力をしなさい』と教えています。神の国の食卓に着くために、限られた時間で、遣わされた地で、狭い門から入る努力をする。

1.狭い門から入る努力をする
イエス様は、「主よ、救われる人は少ないのですか」との質問に対して、『狭い門から入る努力をしなさい』と教えています。24節の『努める』ということばは、アスリートが『競技する』、兵士が戦争で『戦う』」ということばです。『奮闘する』『苦闘する』『苦悩する』ということばです。イエス様は私たちに求める前に、イエス様御自身が『エルサレムへの旅』(22節)を続け、エルサレムで私たち罪人のために罪の身代わりとなって、十字架で贖いの死を遂げることに苦闘し苦悩しています。そして、私たち罪人がこの世界から神の国(天国)に入ることのできる『狭い門』を開いてくださいました。だからこそ、私たちは、神の国の食卓に着くために、この世界に与えられた唯一の救いの道である『狭い門』から入る努力をしようではありませんか。

2.限られた時間で努力をする
『狭い門』とは、限られた時間で閉じる門の意味でもあります。イエス様はたとえの中で、思いがけない時間に主人が門を閉じてしまい、彼らは締め出されてしまったと教えています。私たちの死は思いがけない時にやって来て、狭い門が閉じるならば、そして世界の終わりに、イエス・キリストが再臨され、狭い門が閉じるならば、手遅れです。だからこそ、今、イエス様の招きに応えようではありませんか。イエス様の招きに応え、狭い門から入る努力をするとは、自己中心、身勝手に生きてきた古い自分を、日々、イエス様の十字架に付けて殺すことです。そしてイエス・キリストにあって生きる新しい自分で、イエス・キリストの後に従い生きることです。神の国の食卓に着くために、人生という限られた時間で、狭い門から入る努力をしようではありませんか。

3.遣わされた地で努力をする
ユダヤ人は、アブラハム、イサク、ヤコブ、旧約聖書の全ての預言者との民族としての血のつながりで、神の国の食卓に着くことができると考えていました。イエス様はこのことを明確に否定しています。かえって、ユダヤ民族の父祖たちのように、遣わされた持ち場立場で、信仰者として悪戦苦闘しながらも、狭い門から入る努力をすることを教えています。私たちは、人生という限られた時間で、遣わされた持ち場立場で、狭い門から入る努力をし、今から、神の国の食卓の交わりの豊かさ、喜びの豊かさに期待しようではありませんか。

関連聖書箇所
◎コロサイ書1章29節
このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

◎Ⅰテモテ書6章12節
信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。

◎Ⅱテモテ書4章7節
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

◎マタイの福音書7章13,14節
13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
14 いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

◎ルカの福音書9章23,24節
23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
24 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。

◎詩篇90篇10節
私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。

◎詩篇90篇12節
どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

◎ヘブル書11章13節
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。

◎ヘブル書11章16節
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。

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