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2023年8月13日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<イエス様は進み行く ルカの福音書13章31~35節>
私たちは、イエス・キリストの再臨を待ち望む終わりの時代の患難試練、また人生の試練に絶えず試みられています。終わりの時代に、私たちはどのような希望を見出しながら、未来に向かって進み行くことができるのでしょうか。今朝の聖書箇所は、「イエス様は進み行く」と教えています。イエス様は、神の御計画に従い、十字架の死にまで進み行き、主の御名によって来られる。

1.神の御計画に従い進み行く
ガリラヤ地方からイエス様を追い出すために、ガリラヤ地方の領主であったヘロデ王は、宗教指導者パリサイ人と共謀して、「ヘロデ王がイエス様を殺害しようとしている」とイエス様を脅迫したのです。イエス様は、『悪霊を追い出し、癒しを行う』(32節)奇跡を行うことで、神の国(神の御支配)が地上で始まり、前進していることを示されたのです。イエス様が『三日目に働きを完了する』(32節)とは、イエス様が十字架の贖いの死を遂げ、三日目に死から復活することで、救いの御業を完了し、地上で始まった神の国の働きを揺るぎない働きとするという意味です。イエス様の最大の関心事は、神の国を地上で前進させるために、神の御計画に従うことでした。イエス様は、神の御計画に従うことで、ヘロデの脅迫を見破り、ヘロデを『狐』(32節)と呼ばれたのです。私たちは先に進み行くイエス様の後に従いましょう。神の国を地上で前進させるために、神の御計画に従うことを第一としようではありませんか。

2.十字架の死にまで進み行く
イエス様は、神の御計画として御自身が死ぬ場所は、『エルサレム』(34節)であると預言しています。エルサレムは旧約聖書が伝える「聖なる都」でしたが、ユダヤ人にとって自己正当化するための道具として使われていたのです。『預言者』(34節)が神のみことばから、神様に背く罪の悔い改めを迫っても、彼らは悔い改めず、かえって預言者を殺し、神のみことばに心を頑なに閉ざしたのです。イエス様は、ユダヤ人の頑な心がイエス様を十字架に付けて殺すことを知っていても、十字架の死にまで進み行かれたのです。私たちは先に進み行くイエス様の後に従いましょう。自己中心に生きる古い自分をイエス様の十字架に付け、日々殺しながら、復活の主イエス様に生かされた新しい自分で、イエス様の後に従い、イエス様に似た者に変えて頂きましょう。

3.主の御名によって来られる
イエス様は十字架で贖いの死を遂げ、三日目に死から復活し、父なる神様の右の座に着座されました。そしてこの地上に栄光の姿で再臨されます。最後の審判において、イエス様が『祝福された、主の御名によって来られた方』(35節)であることは、紛れもない事実となります。私たちは、今、信仰を告白し、完成した神の国の壮大な礼拝でイエス様に、『祝福された、主の御名によって来られた方に』(35節)と歓喜の喜びで賛美しようではありませんか。

関連聖書箇所
◎ルカの福音書9章51節
53 しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリア人はイエスを受け入れなかった。

◎ルカの福音書13章22節
22 イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。

◎ルカの福音書11章20節
20 しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

◎ルカの福音書9章23節
23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

◎ルカの福音書14章27節
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

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