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2023年10月1日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<自分の十字架を負う ルカの福音書14章25~35節>
神様が私たちそれぞれの人生に期待していることは、何でしょうか。私たちがそれぞれの人生において、『自分の十字架を負って』、キリストの十字架を輝かせること、私たちの人生からキリストの十字架の輝きが見えることを、神様は私たちに期待しています。十字架は優先する人生の重荷、十字架は覚悟する人生の重荷、だからこそ十字架は私たちの人生の祝福です。
1.十字架は優先する人生の重荷
『自分の十字架を負う』(22節)について、使徒パウロはガラテヤ書2章19,20節で教えています。『自分の十字架を負う』とは、神様に背き人に罪を平気で犯す自己中心な古い自分をキリストの十字架につけ殺すことです。そして、キリストが内に生きる新しい自分で、キリストの後に従い生きることです。自分の罪人としての性質や弱さが良く分かっている私たちは『日々、自分の十字架を負う』(ルカ9:23)ことを、新たに決意しなければなりません。イエス様は、十字架は優先する人生の重荷であることを教えています。自分の十字架を負って、イエス様の弟子になることは、自分の家族よりもイエス様を優先することです。自分の人生よりもイエス様を優先することです。自分の財産よりもイエス様を優先することです。私たちは人生の節目々に、人生の試練に試みられることで、イエス様を優先することに悩み苦しみます。だからこそ、謙遜にキリストの十字架の死と復活を仰ぎ見ることで、自分の十字架を負うイエス様の弟子にして頂こうではありませんか。

2.十字架は覚悟する人生の重荷
イエス様は、二つのたとえ、「塔を建てる人のたとえ」「敵と戦う王のたとえ」から、十字架は覚悟する人生の重荷であることを教えています。「塔を建てる人のたとえ」の重要点は、『まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算する』(28節)ことにあります。つまり、イエス様の弟子は、人生の最後の時まで自分の十字架を負うことを覚悟するのです。「敵と戦う王のたとえ」の重要点は、『まず座ってよく考える』(31節)ことにあります。つまり、人生の最後の時の死と滅びに勝ち目がないならば、神様と和解するために、自分の十字架を負う覚悟をするのです。私たちは、人生の最後の時まで、自分の十字架を負う覚悟をしようではありませんか。人生の最後の時の死と滅びから救われるために、自分の十字架を負う覚悟をしようではありませんか。

3.十字架は私たちの人生の祝福
イエス様は『塩は良いものです』(34節)と教えています。その良さは、存在の良さであり、働きの良さです。自分の十字架を負うイエス様の弟子の存在は、神様の目に良い存在、尊い存在、確かな存在です。イエス様の弟子の働きは、神の国の前味、神の国の塩味、神の国の祝福で、自分の家族、自分の人生、自分の財産を味付けする良い働きです。十字架は私たちの人生の祝福です。

関連聖書箇所
◎ルカの福音書9章51節
51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。

◎ルカの福音書9章22,23節
22 そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。
23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

◎ガラテヤ書2章19、20節
19・・・・・私はキリストとともに十字架につけられました。20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・・・

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