お知らせ

2024年1月14日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<失望せずにいつでも祈りなさい ルカの福音書18章1~8節>
人生の課題(試練)がすぐに解決せず、かえって状況が悪い方向に向かっていると思える時、私たちは神様に祈ること、人生を生きることが辛くなります。そんな私たちに、イエス様は『失望せずにいつでも祈りなさい』と教えています。失望せずに祈りなさい、いつでも祈りなさい、神様は放っておかない。

1.失望せずに祈りなさい
イエス様が1節で『失望してはいけない』と教えた「希望」とは、キリストの再臨によって神の国が完成するという大きな希望です。イエス様は、「神の国はいつ来るのか」(ルカ17:20)という質問に答えました。イエス様の神の国についての教えを、「すでに神の国は始まっているが、いまだ神の国は完成せず、やがて神の国は完成する」とまとめることができます。イエス様は、「やもめの訴えのたとえ話」から、この大きな希望を待ち望みながら、失望せずに祈り続けることを教えています。やもめにとっては、不正な裁判官であっても、正しいさばきをしてくれることこそが、やもめの唯一の希望だったのです。だからこそ、やもめは失望せずに、不正な裁判官に訴え続けたのです。私たちも、理解できないこと、筋が通らないことが起こる不条理な世の中で、キリストの再臨によって、『義の宿る新天新地』 (Ⅱペテロ3:13)が完成する大きな希望の実現を、失望せずに祈り続けようではありませんか。

2.いつでも祈りなさい
イエス様は1節で『いつでも祈るべきです』と教えています。やもめのたとえ話の中で、不正な裁判官が『うるさくて仕方がない』『ひっきりなしにやって来る』(5節)とやもめについて言うほどまでに、やもめは「いつでも」訴え続けたのです。『いつでも祈りなさい』とは、「どんな時にも」「どんな事にも」祈ることです。『いつでも祈りなさい』とは、どのように祈ることでしょうか。
①いつでも目を覚まして祈る(ルカ21:36)『目を覚まして』祈るとは、キリストの再臨による神の国の完成という大きな希望にいつも目を覚まして祈ることです。
②いつでも聖霊に導かれて祈る(エペソ6章18節) 大きな希望に目を覚ましているならば、聖霊が私たちの祈りを神様の御心にかなった祈りに変えてくださいます。
③いつでも御心を求めて祈る(Ⅰヨハネ5章14節) 神様の御心にかなった祈りは必ず実現するのです。

3.神様は放っておかない
不正な裁判官は、常日頃から正しいさばきを行わず、聞く耳を持たない人でした。そのような不正な裁判官でも、やもめが訴え続けることで、正しいさばきを行ったのです。『ましてや神は』(7節)は、常日頃から正しいさばきを行い、神の選民の叫びに耳を傾けて下さているならば、神様は放っておかず、速やかに正しいさばきを行われます。神様が見出すことを期待していることは、患難試練が絶えず続く地上で、失望せずにいつでも祈る信仰です。

関連聖書箇所
◎Ⅱペテロ書3章12,13節
12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

◎ルカの福音書21章36節
36 しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」

◎エペソ書6章18節
18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

◎Ⅰヨハネ5章14節
14 何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。

関連記事