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2023年11月12日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<光の子らの賢さ ルカの福音書16章1~13節>
イエス様は「不正な管理人のたとえ話」で、不正な管理人の「愚かな行動」に倣うことを教えているのでなく、不正な管理人の『賢い行動』に倣うことを教えています。「不正な管理人のたとえ話」から学ぶ「光の子らの賢さ」は、世の富で神様に仕え、天の富で神様に仕え、富でなく神様に仕える賢さです。

1.世の富で神様に仕える賢さ
「不正な管理人のたとえ話」を理解する三つのポイントは、「管理人」、「終わりの時間の自覚」、「不正な富で友を作る」です。
(1)「管理人」…主人から委ねられた財産を管理する仕事でした。
(2)「終わりの時間の自覚」…不正な管理人は、首になるまでの残された終わりの時間を、将来に備えるために有効に用いました。
(3)「不正な富で友を作る」…当時は律法によって利息を取ることが禁じられていました。借金する者は、借金する油や小麦の分量の中に、利息分の分量を上乗せした分量を、証文に記入していたのです。管理人は利息分を免除することで、借金している人の友となり将来に備えたのです。主人は、管理人を訴えることができず、その抜け目のない賢さをほめたのです。
私たちは、不正な管理人の賢さから倣いたいと思います。私たちは神様から委ねられた賜物(財産、才能)の所有者でなく、管理人であることを自覚しようではありませんか。キリストの再臨を待ち望む終わりの時代を自覚して、委ねられた賜物(財産、才能)を用いて、神様に仕え人を愛そうではありませんか。

2.天の富で神様に仕える賢さ
この世での人生は、神様に仕える賢さ忠実さが試され鍛えられるテストケースです。これから迎える神の国の生活(天国の生活)こそが、試され鍛えられた、神様に仕える賢さ忠実さが実際に用いられる人生の本番です。イエス様は、テストケースとしてのこの世の人生と、人生の本番としてのこれから迎える神の国の生活(天国の生活)を三つの比較から教えています。
(1)『最も小さなこと』と『大きなこと』の比較(10節)
(2)『不正な富』と『まことの富』の比較(11節)
(3)『他人のもの』と『自分のもの』の比較(12節)
私たちは、光の子らとして賢く生きようではありませんか。世の富で神様に仕えた賢さ忠実さが、天の富で神様に仕える賢さ忠実さとして用いられるのです。

3.富でなく神様に仕える賢さ
イエス様は、『神と富とに仕えることはできません』(13節)と教えています。『仕える』(13節)ということばは、奴隷として仕えるということばです。私たちは神様の奴隷になるか、この世の富の奴隷になるかのどちらかです。神様の奴隷となる時、私たちは罪の奴隷、富の奴隷、性の奴隷、薬物の奴隷から解放されます。神様に愛されているからこそ、神様の御心を求め従い、この世の富、委ねられた賜物(財産、才能)を、自発的に、自由に、喜んで用いて、神様に仕え人を愛そうではありませんか。

関連聖書箇所
◎Ⅰペテロ書4章10節
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

◎ローマ人への手紙8章17節
17 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

◎コロサイ書3章5,6節
5 ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。
6 これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。

◎ローマ人への手紙6章22節
22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。

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