<人生のどんでん返し ルカの福音書18章9~14節>
「どんでん返し」とは、演劇で舞台設定を変えるために、舞台をぐるりと回転させることです。このことから、物事が一気に正反対に変わること、一気に逆転し、人々の意表を突くことを意味します。イエス様は、人の目でなく、神様の目でどう見えるかという視点から、『人生のどんでん返し』を私たちに教えています。自分の正しさが罪に定められるが、罪を悔い改め正しいとされる。
1.自分の正しさが罪に定められる
イエス様は、「パリサイ人」「取税人」という好対照な人物を登場させることで、「この世での正しさ」を教えています。「パリサイ人」(分離された者)は、自分たちが作った613の戒めを守ることで、自分たちのきよさを守り、この世の人達から自分たちを分離する人達でした。「取税人」は、ローマ帝国のためにイスラエル人から税金を奪い取る「合法的な犯罪者」と見做されていたのです。この世の評価では、「パリサイ人」は「正しい」とされ、「取税人」は「不正」されていました。イエス様が「パリサイ人の正しさ」に見ていたのは、「自分で確信した自分の正しさ」であり、「人と比較した自分の正しさ」でした。
①自分で確信した自分の正しさ(9節) パリサイ人の祈りは、『心の中で』(ギリシャ語:自分に向き合う)(11節)とあるように、神様への祈りでなく、自分に言い聞かせる祈りでした。そして、周りの人達に聞かせる祈りでした。パリサイ人は自分が正しいことを自分で確信し、自分で納得し思い込もうとしていたのです。
②人と比較した自分の正しさ(9節) パリサイ人の正しさは、『私がほかの人たちのようにでなく』『取税人のようにでなく』(11節)、人と比較した自分の正しさなのです。人と比較して自分の正しさを自分で確信することは、脆くて危険な正しさです。イエス様は『自分を高くする者は低くされる』(14節)と教え、パリサイ人の正しさを罪に定めたのです。
2.罪を悔い改め正しいとされる
イエス様は、取税人の祈り、『神様、罪人の私をあわれんでください』(13節)との祈りを正しいとされました(14節)。
①神様に謙遜に祈る正しさ 取税人は、『神様』(13節)と祈り、人と比較することなく、神様に心を注ぎ出す祈りを祈ったのです。
②罪を悔い改めた祈りの正しさ 取税人は『罪人の私』(13節)と祈り、神様に背く罪、人に犯した罪を悔い改め、神様に近づくこと、神様に目を向けることを恐れ、自分の心の痛みを訴えながら祈りました。
③罪の赦しを求める祈りの正しさ 取税人は『罪人の私をあわれんでください』(13節)と祈り、神様の怒りが下る、神様と自分との関係を妨げている罪が取り除かれることを祈ったのです。イエス・キリストの十字架の贖いの死と復活によって、私たちの罪は赦されるのです。自分の罪を悔い改め正しいとされる、『自分を低くする者が高くされる』(14節)、恵みのどんでん返しを体験しようではありませんか。
関連聖書箇所
◎詩篇51篇16、17節
16 まことに私が供えてもあなたはいけにえを喜ばれず全焼のささげ物を望まれません。
17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。