<イエス様の沈黙 ルカの福音書23章1~12節>
「嵐の前の静けさ」ということばがあります。外の世界は静かであっても、嵐に備える私達の心は、すでに不安や恐れで荒れ始め、心がザワツキ、黙っていられなくなります。イエス様が十字架の受難に向かう途上という「嵐」にあって、イエス様は沈黙しました。イエス様は証言に沈黙し、奇跡に沈黙した。私達がイエス様に沈黙するためです。
1.イエス様は証言に沈黙した
イエス様はユダヤ議会の指導者たちに逮捕され、わずか十二時間程の間に、六カ所で裁かれ、ムチで打たれ、十字架刑による死刑判決が下されました。イエス様の裁きの不誠実さは、イエス様を死刑にする死刑理由が、すり替えられたことからも分かります。ユダヤ最高法院での死刑理由は、イエス様が自分を「神の子」(神様)と自称した冒瀆罪でした。しかしユダヤ議会の指導者達は、死刑を実行する権限を持つローマ総督ピラトの前では、死刑理由を、宗教的な理由から政治的な理由にすり替えたのです。彼らは、ローマ総督は宗教的な理由では死刑にしないことを知っていたからです。彼らが訴えた政治的な死刑理由は、①イエス様がユダヤ国民を惑わし扇動した騒乱罪、②イエス様がローマ皇帝への納税を禁じた法律違反、③イエス様がローマ皇帝に対立する王キリストとなった反乱罪です。イエス様は、真理を証しする神の国の王であることを証言した後、沈黙しました。イエス様の沈黙は、私達が自分のことばに沈黙して、イエス様のことばに謙遜に聞き入るためなのです。
2.イエス様は奇跡に沈黙した
ローマ総督ピラトは、ユダヤ人を恐れ、イエス様を無罪で釈放することができず、ガリラヤの領主であったヘロデにこの裁判を譲ったのです。ヘロデは、興味本位でイエス様が行う奇跡を見たいと願いました。しかしイエス様はヘロデが願う奇跡に沈黙しました。イエス様が行う奇跡は、イエス様が救い主キリストであることを指し示す『しるし』だったからです。イエス様はヘロデが願う奇跡に沈黙しました。しかし、イエス様は沈黙の中で、最も偉大な奇跡を成し遂げられたのです。
3.私達がイエス様に沈黙する
イエス様の沈黙は、旧約聖書イザヤ書53章にある『苦難のしもべ』の預言の成就でした。この世に来られた救い主キリストは、苦難のしもべとして、沈黙の中に、私達の罪の身代わりとなって十字架で贖いの死を遂げ、三日目に死から復活して下さったのです。イエス様の沈黙の前に、私達が自分の思い願い、自分の計画、自分の願う奇跡に沈黙しようではありませんか。そして、イエス様が沈黙の中に成し遂げられた、罪の赦しという最も偉大な奇跡に気付こうではありませんか。この奇跡こそが、私達の人生を根本から変える奇跡となるのです。
関連聖書箇所
◎ルカの福音書20章25節
25 すると、イエスは彼らに言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」
◎マルコの福音書15章10節
10 ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。
◎イザヤ書53章7節
7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。