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2024年12月15日東村山キリスト教会第三アドベント礼拝 説教要旨

<おめでとう恵まれた方 ルカの福音書1章24~38節>
御使いガブリエルは、処女マリアのもとに現れ、『おめでとう恵まれた方』(28節)と挨拶しました。おめでとう恵まれた方とは、神からの恵みを受けた人、神に不可能はないと知る人、神のことばがなる人です。
1.神からの恵みを受けた人
『おめでとう恵まれた方』とは、「神様からの恵みを喜びなさい」という意味のことばです。神からの恵みを受けたマリアとは、ガリラヤのナザレという寒村に暮らす、十代の娘でした。ヨセフと婚約関係にありました。ヨセフは大工でしたが、ダビデ王の家系に属する人でした。マリアは御使いが突然現れたことで、神様の介入に、『非常に戸惑い、考え込んだ』(29節)のです。マリアが受けた神からの恵みとは、何か (30節)。処女マリアが、『イエス』(主は救い)と呼ばれる子を身に宿すことでした。マリアが身に宿す、救い主イエス・キリストは、大いなる者、神の御子、神の国の王であり、神の国をとこしえに治めるのです(31~33節)。私達もマリアのように、救い主イエス・キリストを信じる信仰で、救い主イエス・キリストが私達に内住し、「キリストは私の内に生きている」と言えることが、神様からの最も素晴らしい恵みです。
2.神に不可能はないと知る人
処女であったマリアは、御使いガブリエルによる受胎告知に驚きました。しかしマリアは不信仰に陥ったのではなく、「どのように、そのことは起きるのですか」と説明を求めたのです。処女マリアの受胎は、この世の常識では理解できないことでした。御使いガブリエルは、『神にとって不可能なことは何もありません』(37節)と答えたのです。「神様が語られたことばには、神様にとって不可能はない」という意味であり、「神様が語られた神様が立てた大いなる救いの御計画には、神様にとって不可能はない、全てのことが必ず成就する」という意味です。神様の大いなる救いの御計画にあって、まことの神がまことの人としてこの世に生まれるために、旧約聖書ですでに預言されていたように(イザヤ書7章14節)、処女マリアが必要とされたのです。私達は小さな存在であっても、マリアのように、神様の大いなる救いの御計画に用いられることで、神に不可能はないと知ることができるのです。
3.神のことばが身になる人
処女マリアは、御使いガブリエルの受胎告知に対して、『主のはしため』(主の奴隷)と答えました。主の御前に謙遜にひれ伏し、自発的に『この身になりますように』と受け入れたのです。マリアは、神のことばが身になることで、人生の試練の渦中に自分の身を置くことになりました。しかし神様の大いなる救いの御計画に、マリアの人生が用いられる幸いを知ったのです。私達もマリアのように、神のことばが身になることを謙遜に自発的に願い求めようではありませんか。おめでとう恵まれた方、神様からの恵みを喜びなさい。
関連聖書箇所
◎イザヤ書9章6、7節
6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。

◎イザヤ書7章14節
14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

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