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2025年2月16日東村山キリスト教会伝道礼拝 説教要旨

〈心が内で燃える希望の人生 ルカの福音書24章28~35節〉
時には失望し暗い顔付きで人生の旅路を歩む私達と、復活の主イエスが共に歩むことで、私達の人生は、「心が内で燃える希望の人生」となります。
私達は失望することがあるが、復活の主イエスが共に歩み、私達の心は内で希望に燃える。
1.私達は失望することがある
二人の弟子達は、失望した暗い顔付きで、エルサレムからエマオへの十一キロの道を歩いていました。その二人に、復活の主イエスが共に歩いてくださったのです。彼らは、その方を見知らぬ旅人と思い込んでいたのです。二人の失望の悲しみは、私達が人生の旅路で経験する失望の悲しみでもあります。
①死別による失望の悲しみ 二人は、師であるイエス様と死別しました。私達も愛する家族や配偶者と死別する時、同じような失望の悲しみを覚えます。
②希望が失望に終わる挫折の悲しみ イエス様がイスラエルを解放してくれる希望が、失望に終わったのです。私達も受験、就職、進路において希望が失望に終わる挫折の悲しみを経験することがあります。
③罪と死に絶望する悲しみ 二人はイエス様の十字架の死を通して、罪と死に絶望したように、私達も罪と死を直視する時、絶望するしかありません。しかし、失望した暗い顔付きの弟子達と、彼らが気付かなくとも、復活の主イエスは共に歩んでくださっていたのです。
2.復活の主イエスが共に歩む
二人は、復活の主イエスが共に歩んでいるのに、目が遮られて、見知らぬ旅人だと思い込んでいました。二人はイエス様の復活の事実を知りながら、その事実を理解する理解の方向性を間違え、自己流に理解していたからでした。二人は、イエス様を預言者(人間)と理解していても、救い主(神様)との理解に至っていませんでした。二人は、イエス様がイスラエルの解放者として希望を抱いても、罪と死からの救いに希望を抱いていませんでした。復活の主イエスは、二人と共に歩みながら、聖書全体から「キリストの受難と栄光(死からの復活)」を説き明かし、事実を理解する正しい理解の方向性を二人に教えました。
私達を罪と死から救う復活の主イエスが、共に歩んでくださっているのです。
3.私達の心は内で希望に燃える
エマオの村を通り越そうとする見知らぬ人に、二人は自発的、積極的に、『一緒にお泊まりください』(28節)と願ったのです。そして、家の主人がする食事の感謝の祈りとパン裂きを、客である見知らぬ人が行った時、二人の目は開かれ、その人が復活の主イエスであることに気付いたのです。私達も、復活の主イエスに、「私の人生に留まって欲しい」、と自発的に願おうでありませんか。そして私の人生の王座に、復活の主イエスに座っていただきましょう。復活の主イエスが共に歩む、心が内で燃える希望の人生をはじめましょう。
関連聖書箇所
◎使徒の働き2章24節
しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。

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