<自分の日を数える 詩篇90篇1~17節>
詩篇90篇は、私達が老いる現実の厳しさを伝えている詩篇です。しかし老いることの厳しい現実が、神様からの祝福に変わる秘訣として、『自分の日を数える』ことを教えています。自分の日を数える。主の永遠の主権を認め、主から知恵の心を得て、主の確かな働きをする。
1.主の永遠の主権を認める
『自分の日を数える』(12節)とは、「自分の死をよく考える」こと、「自分の死に向き合う」ことです。「自分の死に向き合う」ことは、私達人間が本能的に避けたいと思うことです。しかし詩篇90篇は、『自分の日を数える』ことを教えています。『自分の日を数える』(自分の死に向き合う)時に、私達は自分の死を自分が決めることができない現実に気付かされます。神様が、私達の死の時を決め、私達の死の時を知っています。神様の永遠性に対して、私達人間ははかない存在(束の間の存在)です。主の永遠の主権のもとに、私達人間の存在があることを、謙遜に認めなければなりません。そしてさらに、『自分の日を数える』(自分の死に向き合う)時に、死が私達に自分の罪を悟らせます。聖書は私達の罪と死の関係を教えています。私達が神様に背き人に犯す罪の報酬は、死です(ローマ書6:23)。自分の日を数え、主の永遠の主権を認めようではありませんか。主の御前に罪を悔い改めましょう。
2.主から知恵の心を得る
『知恵の心を得させてください』(12節)。私達は年齢を積み重ねることで知恵を得るのではありません。聖書は、『主を恐れることは知恵の初め』(箴言1:7、9:10)と教えています。私達が犯した罪を人に隠すことができても、神様の御前に隠すことはできません。神様は私達の罪に対して激しい怒りをくだされます。ふさわしい恐れを持たなければなりません。神様に対するその恐れこそが、私達の知恵のはじめです。詩篇作者は、主から知恵の心を得ることについて、さらに自分の罪が赦される主の慈愛を願い求めています。私達は、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、罪が赦され、永遠のいのちを得ることができます。知恵と知識の宝はイエス・キリストにあります。自分の日を数えて、主から知恵の心を得ましょう。日々、主を恐れつつ、キリストの十字架の死と復活を仰ぎ見ましょう。
3.主の確かな働きをする
詩篇作者は、『私たちの手のわざが確かなものとなる』(17節)ことを二度祈り強調して、詩篇90篇を締め括っています。私達は、人生の試練(労苦とわざわい)が絶えず与えられますが、そこにある神様の御心を求め従うことで、私達の働きは、神の国の完成、神の国の前進に役立つ「確かな働き」となるのです。自分の日を数えて、主の確かな働きをしましょう。確かな働きが神の国の完成、神の国の前進に役立つことに期待しましょう。
関連聖書箇所
◎ローマ書6章23節
23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
◎ローマ書5章12節
12 こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──
◎箴言1章7節
7 【主】を恐れることは知識の初め。
◎箴言9章10節
10 【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。
◎コロサイ書2章3節
3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。
ゴンドラの唄
1.
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷(ひ)えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを
4.
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来(こ)ぬものを