<ほむべきかなイスラエルの神、主 ルカの福音書1章57~80節>
バプテスマのヨハネの父となるザカリヤは、十ヶ月が経過しヨハネが誕生した時、彼の口は再びきけるようになりました。彼の第一声は、『ほむべきかなイスラエルの神、主』(68節、ザカリヤの賛歌)でした。ほむべきかなイスラエルの神、主、主は覚え、主は憐れみ深く、主は私達を救う。
1.主は覚えている
『ザカリヤ』という名前には、「主は覚えている」という意味があります。主は、ザカリヤの存在と祈り(願い)を覚えていました。祭司ザカリヤの夫婦は、つつましく誠実に生きる地方祭司でした。しかし子どもが与えられないことが彼らの長年の悩みでした。祭司ザカリヤの祈り(願い)は、イスラエルの贖い(救い)、子どもが与えられること、祭司の務めを全うすることでした。ザカリヤが忘れていた祈りさえ、主は忘れることなく覚え、全ての願いをかなえてくださったのです。しかし、ザカリヤは、ザカリヤの賛歌の中で、彼の存在と祈り以上のことを、主が覚えていることに感謝しています。ザカリヤの賛歌は、前半(68~75節)「主の救いの御計画」を主が覚えていたことを感謝しています。そして後半(76~80節)で、主の救いの御計画の実現のために、息子ヨハネが用いられることを感謝しているのです。主は、主の大いなる救いの御計画を覚えています。主は、大いなる救いの御計画の実現のために、小さな存在に過ぎない私達を覚え用いてくださるのです。
2.主は憐れみ深い
『ヨハネ』という名前には、「主は憐れみ深い」という意味があります。妻エリザベツは、息子ヨハネの誕生を、近所の人達と親族と喜びを共にしました。近所の人達と親族は、ザカリヤ家の祭司職が途切れなかったことを「主の深い憐れみ」として喜んでいたのです。生まれた子どもに名前を付ける時、「主の深い憐れみ」についてザカリヤ夫妻と、周りの人達との違いが明らかになりました。ザカリヤ夫妻は、当時の慣習に従って祭司職の「ザカリヤ」と名付けるのでなく、「ヨハネ」(主は憐れみ深い)と名付けたのです。ザカリヤはザカリヤの賛歌の中で、『神の深いあわれみ』(78節)に感謝しています。このことばは、「神様のはらわたが痛くなるほどの深い同情心を表す」ことばです。神様に背き人に罪を犯す私達罪人の人生が、暗闇の人生、死の陰に住む人生、天国に向かう平和の道が閉ざされた人生であることに、主は深く憐れんでいるのです。
3.主は私達を救う
『イエス』という名前には、「主は救い」という意味があります。ザカリヤの賛歌の中心は、救い主による救いの御計画の実現です。私達は救われたのです。罪が赦されたのです。私達の人生は、敵(悪魔)から救われた人生、恐れなく主を礼拝する人生、敬虔に正しく主に仕える人生、天国に向かう平和な道となったのです。ほむべきかなイスラエルの神、主。
関連聖書箇所
◎創世記12章1~3節
1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」