<神と人に愛された成長 ルカの福音書2章39~52節>
18歳が成人年齢ですが、18歳になったら、途端に、「自立した大人」になれるのではありません。それまでの積み上げられた人間的な成長があってこそ、「自立した大人」となることができます。人間的な成長が積み上げられ培われるために、『神と人に愛された成長』(52節)が必要です。神と人に愛された成長とは、神に愛され神を愛する成長、人に愛され人を愛する成長です。
1.神に愛され神を愛する成長
①神に愛された成長 イエス様の少年(青年)期として、イエス様が12歳(42節)であったことを伝えています。ユダヤ教では13歳が律法を守る自立した成人としての成人式を迎える年でした。12歳のイエス様は成人式を迎える前の準備の年として、過越の祭りに両親と共に出かけました。過越の祭りの帰り道、イエス様は両親とはぐれてしまいました。両親は三日目に、エルサレム神殿で、イエス様を見つけました。イエス様は、自発的に、律法の教師達から、神のみことばを学んでいたのです。イエス様は、神のみことばから、父なる神様に愛されている愛に気付き、教師達はそのイエス様の知恵に驚いたのです。
②神を愛する成長 イエス様は、母マリアに、『自分の父の家』(エルサレム神殿、49節)を、「両親の家」よりも優先することを当然であると伝えています。イエス様は私達にも、神に愛され神を愛することを、人間関係(親子、家族、結婚関係)よりも優先することを教えています。神に愛され神を愛することを優先することで、私達の人間関係を神様が祝福してくださるのです。イエス様は神のみことばから神を愛することとして神からの使命を教えられました。私達も、神のみことばから、神に愛され神を愛することを知る、自立した信仰者、自立した大人としての歩みをしようではありませんか。
2.人に愛され人を愛する成長
①人に愛された成長 母マリアは、子であるイエス様がはぐれた時に、イエス様を三日間捜し求め、イエス様を叱りました(48節)。このことから、イエス様は両親の愛情を注がれて成長されたことが分かります。子どもが自立していくために、私達の愛をおしみなく注ぐことが大切です。しかしその一方で、愛は盲目であり、両親はイエス様の自立と成長を見ることができなかったのです。しかしマリアは、子育てにおいて理解できないことを切り捨てず、神様の御手に委ねながら、イエス様の自立と成長を見守り続けたのです(50、51節)。
②人を愛する成長 イエス様は、人間的に欠けや弱さのある両親を愛し仕えました。イエス様は、神を愛すること、自分自身のように隣人を愛することを教えています。私達は、神に愛され人に愛されていることを知ることで、自分自身を愛し受け入れることができます。自分自身を愛するように、人を愛することができるのです。私達が神に愛され神を愛する、人に愛され人を愛する、自立した信仰者、自立した大人へと成長できることに期待しましょう。
関連聖書箇所
◎ルカの福音書10章39節
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
◎ルカの福音書14章26、27節
26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
◎マルコの福音書12章29~31節
29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」