<良いものが与えられる ルカの福音書11章5~13節>
私たちは新年度を迎えて、一抹の不安と緊張に身構える思いがあるのではないでしょうか。不安と緊張に身構える思いがあることは、悪いことばかりではありません。なぜならば、私たちは、神様に祈ろうとするからです。イエス様は、謙遜に必死に主に祈り求める者に、『良いものが与えられる』と約束しています。求め探したたき続けるなら、聖霊が私たちに与えられ、私たちは神の国に用いられます。
1. 求め探したたき続けるなら
イエス様は、「祈るときにはこう祈りなさい」と、何を祈るのか、祈りの内容について、「主の祈り」(11:1~4)を教えました。そしてどのように祈るのか、祈りの方法について(11:5~13)で教えています。イエス様が、パンを借りに来た人のたとえで教えているのは、簡単に諦めない、『しつこい』(8節)祈りです。イエス様はさらに、その祈りを、「求め探したたき続ける祈り」として教えています。その祈りは、祈りを聞いている神様を無視して、自分の思い願いだけをゴリ押しする祈りや、同じことを繰り返すことで神様を操ろうとする祈りではありません。自分の祈祷課題を祈りながら、神様の御心を謙遜に求め探し、神様の心が開くことを願いながら謙遜に神様の心をノックし続ける祈りです。私たちが謙遜に神様の御心を求め探しノックし続けるならば、必ず、良いものが与えられるのです。
2. 聖霊が私たちに与えられる
イエス様は、『良いものが与えられる』ことを、この世の父親と子の関係のたとえで教えています。この世の父親であっても、自分の子どもが願い求めるならば、良いものを与えます。ならば、天におられる父(アバ、おとうちゃん)は、愛する子どもである私たちのために、必ず、良いものを与えくださるのです。『聖霊が私たちに与えられる』(13節)ことこそが、良いものが与えられることなのです。聖霊が私たちに与えられ、聖霊が私たちに働き導くことで、自分の思い願いであった祈りが、神様の御心にかなった祈りに整えられ変えていくのです。聖霊が私たちに与えられていることで、私たちは私たちに与えられた具体的な祈りの課題を祈りながら、私たち自身が神様の御名、御国、御心に用いられるのです。聖霊が私たちに与えられることこそが、最も良いものが私たちに与えられていることなのです。
3.私たちが神の国に用いられる
私たちの教会の2023年度の年間主題は、「主のために遣わされる祝福」です。私たちが置かれた所で、私たちそれぞれに神様から与えられた人生の課題があります。神様から与えられた人生の課題から、神様の御心を求め探したたき続け、自分にしか作れない花束にして笑顔で神様に献げること、私たちが置かれた所で神の国に用いられることを神様は私たちに期待しています。
関連聖書箇所
◎マタイの福音書6章7~9節
7また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。
8ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。
◎イザヤ書6章8節
8私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」