<神の国に入るために ヨハネの福音書3章1~16節>
儒教の論語は、「十五にして学を志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして矩を越えず」と、「人生の理想像」を教えています。しかしイエス様は、立派に見える人生でなく、『神の国(天国)に入る人生』を教えています。神の国に入るために、新しく生まれ、御霊によって生まれ、キリストの十字架を仰ぎ見る。
1.新しく生まれる
イエス様と対話したニコデモは、当時のユダヤ社会の中で、「人生の理想像」として人々から尊敬されていた人物でした。そのニコデモが、神様を求める真実な思いで、『夜』(2節)イエス様を訪ねたのです。「人生の理想像」に見えるニコデモの心は、罪と死の暗闇に支配されていました。その暗闇の不安、恐れ、空しさから抜け出すために、ニコデモはイエス様のもとに『夜』やって来たのです。イエス様は、ニコデモの全てを知った上で、神の国に入るために、『新しく生まれなければならない』(3節)と教えました。『新しく』とは、『もう一度』『上から』と言う二つの意味のあることばです。イエス様は、ニコデモが人生の成功者であっても、生まれたままの人生では、神の国に入ることはできないと教えたのです。私たちは、生まれたままの人生では、罪と死の暗闇に支配されたままだからです。神の国に入るためには、もう一度、上から、神様の力で生まれなければならないのです。
2.御霊によって生まれる
イエス様は、『新しく生まれる』ことを、『御霊によって生まれる』(5節)と言い換えています。聖書が伝える神様は、三位一体の神様です。父なる神様、子なるキリスト、聖霊なる神様のお三方が一つとされている神様です。御霊(聖霊)なる神様は私たちに内住してくださるお方です。私たち人間は、神様に創造された時から、『いのちの息』(創世記2章7節)である『聖霊』が吹き込まれることで、神様の御前に真実な人として生きることができるのです。旧約聖書(エゼキエル書3章26,27節)は、『新しい心』『新しい霊』が与えられることで、神様に心を閉ざした『石の心』が取り除かれ、御霊が内住し、神様と親しく交わる『肉の心』が与えられると預言していたのです。罪人の私たちが、神の国に入るために、御霊によって生まれ、『石の心』が取り除かれ、『肉の心』に変えていただかなければなりません。
3.キリストの十字架を仰ぎ見る
イエス様は、旧約聖書の出エジプトの出来事から、「キリストの十字架を仰ぎ見て生きよ」と教えています。イスラエルの民が青銅の蛇を仰ぎ見て生きたように、私たちも、神の国に入るために、キリストの十字架を仰ぎ見ようではありませんか。私たちの心が神様に心を閉ざす『石の心』であることを認め悔い改め、罪を赦す神様の愛に信頼しようではありませんか。
関連聖書箇所
◎創世記2章7節
7 神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
◎エゼキエル書36章26、27節
26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。
◎マタイの福音書23章27、28節
27 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。
28 同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。
◎民数記21章4~9節
4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、
5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」
6 そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。
7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
8 すると【主】はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。