<イースター心は希望に燃える ルカの福音書24 章13~32 節>
私たちは、今年のイースターを、感染対策緩和に伴い、以前の生活に戻す(復活する)時として迎えました。しかし、私たちの生活は以前に戻すことができても、心が以前に戻らないジレンマがあるのではないでしょうか。エマオに向かう途上のイエス様の二人の弟子たちもまた、生きる希望が持てないままに、エマオの家路に戻ろうとしていたのです。復活の主イエス様は、生きる希望が持てないままに、生きていかざるをえない私たちに、『心は希望に燃える』ことを教えています。復活の主イエスが共に歩み、聖書を私たちに説き明かし、私たちの心は希望に燃えるのです。
1.復活の主イエスが共に歩む
神の御子イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死に、三日目に死から復活してくださいました。イエス様の死からの復活は、私たちの罪と死に完全に勝利したことを証しする、天上の体、朽ちない栄光の体での復活でした。復活の主イエス様は、エマオの途上に向かう二人の弟子たちの悲しみを知って、共に歩いてくださったのです。しかし彼らは悲しみで心を閉ざし、共に歩む方が復活の主イエス様だと気付きませんでした。復活の主イエス様は、私たちが気付く前から、私たちの人生の悲しみ、失望の悲しみ、死別の悲しみ、自分の死の悲しみ、自分のことば(生きる意味)を失った悲しみを知って、共に歩んでくださるのです。
2.聖書を私たちに説き明かす
復活の主イエス様は、二人の弟子と共に歩み、彼らの悲しみを知っています。しかし二人は復活の主イエス様に気付いていません。イエス様は二人の弟子と共に歩みながら、聖書全体からイエス様御自身について説き明かされたのです。聖書全体からイエス様について知る時、順序が大切でした。まず聖書から私たちの罪を知り、私たちの罪の身代わりとしてのキリストの十字架の死を知り信じる。ならば、私たちは聖書から、私たちの罪と死に勝利したキリストの復活を知り信じることができるのです。そして聖書は私たちに神の御計画に私たちの人生が用いられることを教えているのです。
3.私たちの心は希望に燃える
二人の弟子たちの心の燃え方は、後で気付いて分かるような、静かな、確かな、持続性のある心の燃え方でした。二人の弟子達のように、心が希望に燃えるために、私たちは復活の主イエス様に私たちの心に留まって頂くことを願おうではありませんか。二人の弟子達のように、復活の主イエス様を心の王座にお迎えしようではありませんか。復活の主イエス様は、弟子達の肉眼で見えなった後も、共に歩み続けてくださったのです。二人の弟子が、心が希望に燃えて、夜道の、危険のあるエルサレムに戻ったように、患難試練が続く暗い夜道の時代を、復活の主イエス様の希望に心を燃やして生きようではありませんか。
説教聖書箇所◎ルカの福音書24 章13~32 節
13 ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。
14 彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。
15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。
17 イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。
18 そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。
19 イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
20 それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
21 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
22 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
23 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。
24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は
見当たりませんでした。」
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。
28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
29 彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
関連聖書箇所
◎エレミヤ書29 章11 節
11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
◎ローマ書8 章28 節
28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。