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2023年4月23日 東村山キリスト教会伝道礼拝 説教要旨

<全身が光に満ちる ルカの福音書11章27~36節>
『夕暮れ時に光がある』(ゼカリヤ書14章7節)の聖書のことばは、私たちの人生の夕暮れ時(晩年)のことであり、この世界の夕暮れ時(主の再臨を待ち望む終わりの時代)のことでもあります。夕暮れ時は平穏無事な日々でなく、人生の試練に絶えず試みられる時ですが、聖書は『光がある』と教えています。イエス様は、私たちの人生の夕暮れ時、この世界の夕暮れ時に、私たちの『全身が光に満ちる』ことを期待しているのです。この時代は悪い時代だが、罪を悔い改め、全身が光に満ちるのです。

1.この時代は悪い時代
イエス様は『この時代は悪い時代です』(29節)と言われたのは、終わりの時代の患難試練のことよりも、イエス様をキリスト(救い主)と信じ受け入れない時代の悪さです。ユダヤ人宗教指導者たちは、イエス様がキリスト(救い主)だと分かる「天からのしるし(奇蹟)」を求めました。自分達の好みに合うキリスト(救い主)であると分かる、自分達の好みに合う「しるし(奇蹟)」を求めたのです。悪魔が荒野でイエス様を誘惑した(マタイ4章1~11節)ように、私たち人類がキリスト(救い主)に求めるのは、パンのためのキリスト、神様への疑いを晴らすためのキリスト、成功繁栄を手に入れるためのキリストです。イエス様はあえて、私たち人間が求める「天からのしるし(奇蹟)」を行いませんでした。この時代は、自分の好みに合うキリスト(救い主)を求め、自分の好みに合うしるし(奇蹟)を求めます。しかしこの世に来られたイエス様をキリスト(救い主)と信じ受け入れない悪い時代です。

2.罪を悔い改める
イエス様は『ただし、ヨナのしるしは別です』(29節)と言われました。旧約聖書の預言者ヨナは、嵐で荒れ狂う海で死にかけましたが、大魚の腹の中で三日三晩過ごすことでいのちが助かりました。そのように、イエス様は私たち人類の罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目に死から復活することを意味しています。イエス様の十字架の死と復活こそが、イエス様がキリスト(救い主)であることの確かな『しるし(奇蹟)』です。『ここにヨナにまさるものがある』(32節)、『ここにソロモンにまさるものがある』(31節)ならば、私たちは自己中心、身勝手に生きようする罪を悔い改めようではありませんか。

3.全身が光で満ちる
イエス様は、ランプの光から、イエス様御自身が『光』であることを教えています。私たちが罪を悔い改めた、砕かれた悔いた心、健やかな心、イエス様に集中した心である時、光であるイエス様に私たちの全身が満ちるのです。この時代は悪い時代であっても、日々、自己中心、身勝手に生きようとする私たちの罪を悔い改めて、私たちの全身がイエス・キリストの希望の光に満ち、イエス・キリストの希望の光を輝かせることを、イエス様は私たちに期待しています。

関連聖書箇所
◎ゼカリヤ書14章7節
・・・・・夕暮れ時に光がある。

◎マタイの福音書4章4節
4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

◎マタイの福音書4章7節
7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」

◎マタイの福音書4章10節
10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

◎マタイの福音書12章39,40節
39 しかし、イエスは答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。
40 ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

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