<将来に平安と希望を与える計画 エレミヤ書29章4~14節>
コロナ禍からアフターコロナ、ウィズコロナという段階に入った今、「将来が明るくなった」という実感がありません。終わりの時代の患難試練、人生の試練に絶えず試みられている私たちは、将来に希望が持てず、将来に不安を覚えています。そのような私たちに、神様は『将来に平安と希望を与える計画』を教えています。将来に平安と希望を与える計画は、自分が思い描く計画でなく、人知を超えた神の計画です。
1.将来に平安と希望を与える計画
本日の聖書箇所は、預言者エレミヤが、バビロンの捕囚(奴隷)となり、バビロンでの捕囚生活(奴隷生活)に苦しむイスラエルの民に、書き送った手紙です。将来に不安を覚え、将来に希望が持てない捕囚の民に、神様は『道の分かれ目に立って見渡せ』『幸いの道はどれであるかを尋ねよ』(エレミヤ6:16)と命じています。私たちも、時代の患難試練に試みられ、人生の試練に試みられることで、人生が中断し挫折する苦しみを味わうことがあります。しかし自分の人生が中断し挫折することが、全て悪いわけではありません。人生の中断、挫折は、道の分かれ目(人生の分岐点)に立ち止まって、人生を見渡す時でもあるのです。『幸いの道』(将来に平安と希望を与える計画)は、どの道なのか尋ね求めようではありませんか。
2.自分が思い描く計画でない
イスラエルが国として滅亡した原因は、イスラエルの民達が神様に背き、神様に従おうとしなかったことに原因があります。しかし彼らは、国が滅び、バビロンの捕囚となって、神様に背く罪を悔い改めませんでした。彼らは、将来への絶望と不安から逃れるために、二年程でイスラエルに戻れるという偽の預言(人間が思い描く計画)に飛びついたのです。私たちは、目先の問題(課題)の解決だけを求めてはいないでしょうか。対処療法では根本的な解決となりません。将来への不安と絶望は解決しません。神様は、『幸いの道』は、『いにしえからの通り道』(エレミヤ6:16)と教えています。神様に背いた罪を悔い改めて、神である主を謙遜に祈り求めようではありませんか。ならば、神様が私たちの祈りを聞いてくださり、私たちは神様を見出すのです。
3.人知を超えた神の計画です
神の計画は、バビロン捕囚の期間は人々が思い描く二年でなく、七十年でした。神の計画にどのように私たちの人生が用いられるのか、私たちには分からない時もありますが、神様は全てを知ってくださっています。神の計画は私たちを破滅させるわざわいではありません。私たちの将来に平安と希望を与える計画です。神の国の完成という壮大な神の計画にあって、私たちの人生の試練もまた益として用いられます。そして私たちの人生にとって益となります。神の計画に用いられる私たちの将来には、希望と平安があるのです。
関連聖書箇所
◎エレミヤ書6章16節
16 【主】はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。
◎エレミヤ書28章2~4節
2 「イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。わたしは、バビロンの王のくびきを砕く。
3 二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪い取ってバビロンに運んだ【主】の宮のすべての器をこの場所に戻す。
4 バビロンに行ったユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの場所に帰らせる──【主】のことば──。わたしがバビロンの王のくびきを砕くからだ。」
◎ローマ書8章28節
28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
詩の題『苦しむ者たちのための信条』
※ニューヨーク大学リハビリーテーション研究所の壁にあった詩
功績を立てるために、神様に力を求めた。
謙遜に従うことを学ぶために、弱さを授けられた。
より偉大なことをなすために、健康を求めた。
より良いことするようにと、病弱を与えられた。
幸せになるために、金持ちになることを求めた。
賢くなるために、貧しさを与えられた。
人々の賞賛を得るために、力を求めた。
神様が必要であると知るために、弱さを与えられた。
生活を楽しむために、全てのことを求めた。
全てのことを楽しむために、いのちを与えられた。
求めたものは何一つ与えられなかった。
しかし、願いは全てかなえられた。
私のようなものであるにもかかわらず、
私の言い表すことができなかった祈りは聞かれた。
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されている。