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2023年9月24日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<神の国で食事する幸いな人、その2 ルカの福音書14章15~24節>
本日洗礼を授けられた姉妹は、「小さな頃から夏のキャンプや聖会に参加することが好きだった」と証をしてくれました。キャンプや聖会で、「神の国の食事会」の喜びの前味を知ることができたことで、「神の国の食事会への神様からの招き」に、素直に応えることができたのです。神の国で食事する幸いな人とは、神の招きを断る不幸な人でなく、神の招きに応える幸いな人です。

1.神の招きを断る不幸な人
イエス様は、神の国で食事する幸いについて、「盛大な宴会」のたとえから教えています。当時のユダヤ人の宴会は、仮招待と正式招待の二段階の招待がなされました。仮招待に応じた者が、正式招待を断ることは、宴席の主人に対して失礼極まりないことでした。イエス様が伝える宴会の盛大さは、永久に死が滅ぼされた豊かさ、地上での目の涙が拭い取られる豊かさ、罪が赦された豊さ、そして救い主イエスの御救いを楽しみ喜ぶ豊かさです。宴会の主人が宴会を用意したように、罪のないイエス様がこの世に来られ、十字架で死に、三日目に死から復活することで、神の国の食事会を備えて下さったのです。
宴会の主人は、準備万端整えて、盛大な宴会に正式に招待したにもかかわらず、みな三者三様に、招待を断ったのです。①『畑を買ったので』 (18節)という理由でした。財産を最優先し、神の国への神様からの招きを断ったのです。②『五くびきの牛を買ったので』(19節)という理由でした。仕事を最優先し、神の国への神様からの招きを断ったのです。③『結婚したので』(20節)という理由でした。家族を最優先し、神の国への神様からの招きを断ったのです。私たちは、この世の幸せを最優先して、神の国への神様からの招きを断ろうとしてはいないでしょうか。この世の幸せを最優先して、神の国への神様からの招きを断ることが、結局は、私たちを不幸にするのです。

2.神の招きに応える幸いな人
「盛大な宴会」のたとえで、イエス様は「神の招きの熱心さ」を伝えています。正式な招きを断った者への『怒り』(21節)は、神の招きの熱心さの現れです。神の招きの熱心さは、町囲みの内側(ユダヤ人の中の)、『貧しい人たち、体の不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たち』(21節)に向かったのです。そして神の招きの熱心さは、町囲みの外側(異邦人、異教徒)(23節)に向かったのです。イエス様は、「神の招きの尊さ」を教えています。この世の幸せよりも、神の国への神の招きを最優先し応える者が、神様の目に高価で尊いのです。神の国への神の招きに応えることは、財産、仕事、家族を捨て、持たないことでありません。神の国への神の招きを最優先することで、神様に委ねた私たちの財産、仕事、家族を、神様がこの世で祝福してくださるのです。神の国で食事をする幸いな人になろうではありませんか。神の招きを断る不幸な人でなく、神の招きに応える幸いな人になろうではありませんか。

関連聖書箇所
◎イザヤ書25章6~9節
6 万軍の【主】は、この山の上で万民のために、脂の多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多い脂身とよくこされたぶどう酒の宴会を開かれる。
7 この山の上で、万民の上をおおうベールを、万国の上にかぶさる覆いを取り除き、
8 永久に死を呑み込まれる。【神】である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。【主】がそう語られたのだ。
9 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた【主】。その御救いを楽しみ喜ぼう。」

◎ルカの福音書15章10節
10 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」

◎イザヤ書43章4節
4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

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