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2023年8月20日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<人生の渇きのいやし ヨハネの福音書4章7~18節>
猛暑で渇く。大規模な自然災害で渇く。コロナ禍で渇く。戦争の長期化で渇く。私たちは、今の時代、「渇きを覚える」ことが多くなりました。私たちは、人生の渇きに苦しむが、永遠のいのちへの水を、イエス様が与える。

1.人生の渇きに苦しむ
イエス様はサマリアのスカルでサマリア人の一人の女性と出会い対話されました。ヤコブの井戸の前で、イエス様は喉の渇きを覚えていました。サマリア人の女性は、日中の一番暑い時刻に、人目を避けるようにして、水を汲むためにヤコブの井戸の前にやって来たのです。イエス様は神の御子キリストとして、その女性が人生の渇きに苦しんでいることを知っていました。その女性には結婚と離婚を五度繰り返し、今一緒に暮らしている男性とは同棲関係にありました。女性の思い願う幸せ願望が、かえって女性の人生を不幸にし、女性は人生の渇きに苦しんでいたのです。私たちも、快楽の踏み車(トレッドミル)を回し続けることで、永遠に先に進むことができず、人生の渇きに苦しみ続けるということがあるのではないでしょうか。快楽の踏み車は、理想の異性、性的な快楽、社会的な地位、社会的な成功、収入の増加であったりします。私たちの欲望は果てしなく、人生の渇きに苦しみ続けてはいないでしょうか。

2.永遠のいのちへの水
イエス様が教えていることは、人生の渇きをいやすのは、幸せ願望が実現することでなく、『永遠のいのちへの水』(14節)が与えられることです。『永遠のいのちへの水』は、『神の賜物(プレゼント)』(10節)神様が私たちに無償で与えてくださるものです。イエス様は『生ける水』(10節)と教えています。私たちが生きるために必要不可欠なものです。『永遠のいのちへの水』は、私たちが死を越えて生きることのできるいのちの水です。しかしサマリア人の女性は、「幸福ミス」を犯して、自分の思い願う幸せ願望を求め、『永遠のいのちへの水』を求めませんでした。私たちは二つの罪を犯します。一つ目の罪は、神様に背を向け『永遠のいのちへの水』を求めない罪です。そして二つ目の罪は、自分の幸せを求めて、壊れた水溜を掘り続ける罪です。私たちは罪を悔い改めて、永遠のいのちへの水に真実に飢え渇こうではありませんか。

3.イエス様が与える
14節でイエス様は、『わたしが与える水』ということばを二度繰り返して、『永遠のいのちへの水』を与えるのは、イエス様であることを強調しています。イエス様は神の御子ですが、喉の渇くこと、人生の渇きに苦しむことを知るお方としてこの世界に来て下さいました。イエス様は私たちの罪の身代わりとなって、『わたしは渇く』と叫んで、十字架の身代わりの死を遂げ、三日目に死から復活して下さいました。イエス様が、いつまでも決して渇くことのない『永遠のいのちへの水』を、私たちに与えて下さるのです。

関連聖書箇所
◎エレミヤ書2章13節
13わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。

◎ヘブル書4章15、16節
15 私たちの大祭司(イエス様)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
16 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

◎ヨハネの福音書19章28節
28 それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。

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