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2024年4月7日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<神の権威に従う祝福 ルカの福音書20章1~8節>
私たちは社会生活をする上で、「神の権威」と「この世の権威」の板挟みになって悩むことがあるのではないでしょうか。神の権威に謙遜に従うことに、神様からの祝福があります。みことばの権威に従い、背く罪を悔い改め、神の権威に用いられる。

1.みことばの権威に従う
受難の一週間に、イエス様はエルサレム神殿で福音を宣べ伝えました。その時、ユダヤ議会の代表者たちがやって来て、イエス様に、『何の権威によって』『その権威を授けたのはだれか』(2節)と問い正したのです。彼らは、自分を権威者であると自任し、権威者である彼らの許可を得ずに、イエス様がエルサレム神殿でやりたい放題のことをしていることに腹を立てていたのです。彼らがイエス様について問題視した『これらのこと』(2節)とは、①イエス様が救い主キリスト、王としてエルサレムに入城したこと、②エルサレム神殿で宮きよめをしたこと、③エルサレム神殿で福音を宣べ伝えたことでした。イエス様は、勝手気ままにこれらのことをしたのではありません。神の権威である神のみことばに従い、旧約聖書の預言を成就したのです。私たちも神の権威、神のみことばの権威を謙遜に認め従おうではありませんか。

2.背く罪を悔い改める
ユダヤ議会の代表者たちが、イエス様を問い正した時に、イエス様は彼らに逆に質問しました。『ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか』(4節)。『天から来た』とは、「神の権威に基づく働き」という意味です。『人から出た』とは、「ヨハネが勝手に考えたデタラメな働き」という意味です。彼らは、神の権威である神のみことばから、ヨハネのことばや行いについて判断しようとしませんでした。彼らは、権威者である自分にとって有利か不利かで判断しようとしたのです。もし神の権威に基づく働きと答えたならば、彼らはヨハネに従わなかったことを非難されることになります。また、もしヨハネのバプテスマはデタラメな働きと答えたならば、ヨハネを預言者だと信じている民衆から石打で殺されることを恐れたのです。彼らはどちらに答えても不利になると判断し、『知らない』(7節)と答え判断を保留にしたのです。私たちも、物事の真実を神のみことばから知ろうとせず、権威とする自分にとって有利か不利かで判断する罪、神の権威さえも退けてしまう自己中心な罪を悔い改めようではありませんか。

3.神の権威に用いられる
イエス様は、何の権威によって行っているのか、彼らに答えませんでした。彼ら自身が自問自答として、神の権威に背く罪を悔い改めることを願ったのでしょう。しかし聖書は、バプテスマのヨハネと、イエス・キリストが神の権威に用いられたことを確かな事実として、私たちに伝えているのです。

関連聖書箇所
◎マタイの福音書6章33節
33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

◎ルカの福音書19章37,38節
37 イエスがいよいよオリーブ山の下りにさしかかると、大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、
38 こう言った。「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。」

◎ゼカリヤ書9章9節
9 娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。

◎詩篇118篇26節
26 祝福あれ【主】の御名によって来られる方に。私たちは【主】の家からあなたがたを祝福する。

◎イザヤ書56章7節
7 わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。

◎エレミヤ書7章11節
11 わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた──【主】のことば──。

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