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2024年3月10日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<主がお入り用なのです ルカの福音書19章28~40節>
4月から新年度を迎える私たち一人一人に、主イエス様は『主がお入り用なのです』と声を掛けて下さっています。私たちは弱く貧しくとも、神の召しに応えるならば、神の御計画に用いられる。

1.私たちは弱く貧しくとも
エルサレム入城から受難週の一週間が始まりました。イエス様は「この世の王」でなく、「まことの王キリスト」としてエルサレムに入城するために、「子ろば」を必要とされました。旧約聖書(ゼカリヤ書9章9、10節)は、「まことの王キリスト」は、戦争の象徴である「軍馬」でなく、平和の象徴である「子ろば」に乗ってエルサレムに入城することを預言していました。イエス様がエルサレム入城に必要とされたのは、「軍馬」でなく、弱く貧しい「子ろば」でした。神の国の福音を宣べ伝えるために、弱く貧しい弟子達を必要とされました。「この世の愚かな者」「弱い者」「足りない者」「見下されている者」「無に等しい者」を主は選び用いられるのです。肉なる者がだれ一人誇らず、神様の栄光だけが輝くためです。『主がお入り用なのです。』

2.神の召しに応えるならば
イエス様は二人の弟子に「子ろば」を連れて来るように命じました。イエス様のみことばだけを頼りに、彼らは「子ろば」を捜したのです。二人は捜す間、『主がお入り用なのです』とのイエス様のみことばを繰り返すことで、イエス様が自分たちも必要としていることばとして受け取ったでしょう。彼らは『主がお入り用なのです』との神の召しに応えた時に、イエス様のみことばが実現する祝福の豊かさを体験的に知ることができたのです。『主がお入り用なのです』には、『子ろばの主(真実な持ち主)が、子ろばを必要としている』という意味が含まれています。私たちの真実な所有者、贖い主である主イエス様が私たちを必要としています。神の召しに応えましょう。

3.神の御計画に用いられる
イエス様が「子ろば」の背に乗ってエルサレムに入城した時、大勢の弟子達の大歓声と大賛美が沸き起こりました。大勢の弟子達は、イエス様を「この世の王」として神様に賛美したのです。ユダヤ教の宗教指導者たちは、大勢の弟子達の賛美の声を叱るようにイエス様に言いました。しかしイエス様は大勢の弟子達の賛美の声を止めさせませんでした。大勢の弟子達は、「まことの王キリスト」のエルサレム入城の意味を十分に理解していません。しかし大勢の弟子達の賛美は、神の国の完成という神の壮大な御計画の中でなされている、「まことの王キリスト」のエルサレム入城に伴う賛美として用いられていたからです。私たちは、理解が不十分で、全てのことが分からなくとも、『主がお入り用なのです』との神の召しに応える時に、私たちの小さな奉仕、仕事、働き、人生が、神の国の完成という神の壮大な御計画に用いられるのです。

関連聖書箇所
◎ゼカリヤ書9章9,10節
9 娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。
10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。

◎Ⅰコリント書1章27~29節
27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
29 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

◎詩篇118篇26節
26 祝福あれ【主】の御名によって来られる方に。私たちは【主】の家からあなたがたを祝福する。

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