お知らせ

2024年4月21日東村山キリスト教会伝道礼拝 説教要旨

<人生の疲れのいやし Ⅰ列王記 19 章 1~18 節>
4月から新し環境で生活を始めた方は、5月に入って急に疲れが出ることを「五月病」と言ったりします。新しい環境に適応することは、私たちだれにとっても疲れを覚えることです。偉大な預言者エリヤも、人生に疲れ果ててしまったのです。神様はエリヤの人生の疲れをいやして下さいました。神様の御手で支えられ、神様のみことばで養われ、神様の使命が与えられる。

1.神様の御手に支えられる
預言者エリヤは信仰の戦いに勝利したにもかかわらず、アハブ王の妻イゼベル(熱心な偶像の神バアル信仰者)は、エリヤを殺害する命令を下したのです。偉大な預言者エリヤでさえ、心が折れてしまい、人生に疲れて果ててしまったのです。人生に疲れ果てたエリヤから私たちが学ぶべき点があります。
①主の御前に一人で出る エリヤは荒野に向かい、主の御前に一人で出たのです。そして素直に内面の苦しみを伝える祈りをしています。自分の生きる死ぬの主権は神様にあると認めています。主の御前に出ることに、人生の疲れの真実ないやしがあります。
②主の御手に重荷を委ねる エリヤは主の御前で重荷を委ね、寝落ちしたのです。主の御手に人生の重荷を委ねましょう。
③主の御手の支えに感謝する 主はエリヤを気づかい、食べ物と水を備え与えて下さいました。私たちも家族の支え、信仰の友の支えの背後に、主の御手の愛の支えがあることを覚え、その恵みを数え感謝しようではありませんか。

2.神様のみことばに養われる
神様はエリヤの肉体の疲れだけでなく、心の疲れもいやして下さったのです。神の山ホレブ(シナイ山)で、主はエリヤに『ここで何をしているのか』(9節)と問われました。エリヤには、神様は全知全能であり、エリヤも熱心に神様に仕えたにもかかわらず、事態は悪くなる一方に思えたのです。そのことでエリヤの心が折れてしまい、疲れ果て、人生の孤独を覚えていたのです。主はエリヤの思いに直接答えず、主の臨在(主が共にいる)ことを示されました。大風(突風、竜巻)の中にも、地震の中にも、火(山火事、火山爆発)の中にも、主はおられませんでした。『かすかな細い御声』(12 節)があったのです。『かすかな細い御声』とは、「主の優しい愛の御声」です。私たちにとって、イエス・キリストの十字架の死と復活こそが、「主の優しい愛の御声」です。『かすかな』(小さな)御声を注意深く聞くことに、人生の疲れの真実ないやしがあるのです。

3.神様の使命が与えられる
神様はエリヤの人生の疲れをいやし、エリヤに新たな神様の使命を与えています。『旅の道のりはまだ長いのだから』(7 節)。信仰の友、教会の兄弟姉妹の祈りに支えられながら、神様が私たちの人生の疲れをいやして下さり、成長することで、神様の働き人として用いられることに期待しようではありませんか。神の国に向かう道のりを、主イエス様と共に歩みましょう。

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