<御心がなりますように ルカの福音書22章35~46節>
パリンオリンピックを観戦して、私は『順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ』(旧約聖書)を思い出しました。アスリートが敗戦した時、怪我やスランプに陥った逆境の時に何を考えたのか。私たちはそのことを知ることで、人生の逆境に生きるヒント、生きる糧にしたいと願います。イエス様は十字架の死という人生の逆境で、『御心がなりますように』と祈りました。誘惑に陥らないために、自分の心を注ぎ出して、主の御心がなることを祈る。
1.誘惑に陥らないために祈る
イエス様は最後の晩餐の食後の話題として、最後に、弟子達を取り巻く状況が、順境から逆境に急変することを予告し、その備えをすることを教えました。イエス様は、逆境への備えとして、「財布、袋(食料を入れる)、剣」を備えるように教えています(36節)。これは、『今』(36節)の逆境を強調するためのレトリックと言えます。イエス様が弟子達に教えているのは、祈りによって霊的な備えをなし霊的な武具を身に着けることです。イエス様は最後の晩餐の後、ゲツセマネの園で、イエス様の十字架の贖いの死に備える祈りを祈りました。ゲツセマネの園の祈りの最初と最後で、イエス様は弟子達に、二度、『誘惑に陥らないように、祈っていなさい』(40、46節)と教えたのです。私たちも時代の患難人生の試練に立ち向かうために、誘惑に陥らないために祈りましょう。祈ることで、霊的な備えをなし霊的な武具を身に着けましょう。
2.自分の心を注ぎ出して祈る
イエス様のゲツセマネの園での祈りの中心は、『御心がなりますように』(42節)との祈りであり、御心として『この杯』(42節、神の御怒りの杯、十字架の贖いの死)を飲み干すための祈りでした。イエス様はその祈りを『汗を血のしずくのように地に落としながら』、自分の心を注ぎ出す『もだえ苦しむ切実な祈り』(44節)を祈られたのです。私たちも、私たち自身が神様の御心に従い、「御心がなりますように」と祈る時、自分の心を注ぎ出すもだえ苦しむ祈りを祈ることがあります。しかしもだえ苦しむ祈りを祈るイエス様を、天の御使いが力付けたのです(43節)。それと同じように、自分の心を注ぎ出す、もだえ苦しむ祈りを祈る私たちを、聖霊が慰め励まし力付けて下さるのです。
3.主の御心がなることを祈る
イエス様がゲツセマネの園で祈っている時、弟子達は悲しみの果てに眠り込みました。信仰の目が閉じてしまっていたのです。イエス様は、弟子達に『誘惑に陥らないために、起きて(主の御心がなることを)祈っていなさい』(44節)と教えています。キリストの十字架の贖いの死と復活に、いつも目覚めて祈りましょう。神の御名、御国、御心をまず求めて祈りましょう。聖霊が神の御心に私たちを導くことを求めて祈りましょう。時代の患難人生の試練において、御心がなりますように。
関連聖書箇所
◎伝道者の書7章14節
順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。・・・・・
◎エペソ書6章13~17節
13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
◎エペソ書6章18節
18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。・・・・・
◎イザヤ書51章17節
目覚めよ、目覚めよ。エルサレムよ、立ち上がれ。あなたは【主】の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯(おおさかずき)を飲み干した。
◎イザヤ書53章12節
・・・・・彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。