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2023年12月31日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<神の国はいつ来るのか ルカの福音書17章20~37節>
2023年を振り返る時、世界に目を向ければ、多発する戦争と大規模な自然災害によって荒廃する悲惨な光景を繰り返し目の当たりにする一年でした。日本に目を向ければ、政治の汚職による国の荒廃を目の当たりにする一年となりました。私たちも『神の国はいつ来るのか』と言いたくなります。すでに神の国は始まっているが、いまだ神の国は完成せず、やがて神の国は完成する。

1.すでに神の国は始まっている
パリサイ人は、イエス様の『神の国』の教えを聞いて、イエス様に『神の国はいつ来るのか』(神の国は来ていない)(20節)と問いただしたのです。当時のユダヤ人と彼らにとっての「神の国」とは、ローマ帝国の支配から解放された、ダビデ王時代のような「イスラエル王国の復興」でした。イエス様は、『神の国は、(イスラエル王国の復興のような)目に見える形で来るものでない』(20節)と答えています。神の国は領土の解放、拡大ではないのです。イエス様は、『神の国は、あなたがたのただ中にある』(21節)と答えています。「神の国は私たちの心の中にある」という意味ではありません。悲惨な現実から逃避して、心の中で平安を得ることが神の国ではありません。『神の国』とは『神様の御支配』、神様が治め支配することです。悲惨なこの世の現実の中に、イエス・キリストがこの世界に来て下さり、キリストのみことばが語られ、キリストの御業がなされるところで、すでに神の国は始まってるのです。

2.いまだ神の国は完成せず
イエス・キリストは十字架の贖いの死を遂げ、三日目に死から復活し、昇天されました。天から、キリストが再臨される時、神の国は完成します。今の時代は、いまだ神の国が完成せず、キリストの再臨を待ち望む終わりの時代です。終わりの時代の患難試練の中で、私たちはどのように生きるのか。私たちは偽キリストの再臨のうわさに注意しなければなりません(23節)。私たちは、日常生活が繰り返し続くと考え、自己中心な生き方をして、永遠のいのちを失うことに注意しなければなりません(33節)。いまだ神の国が完成せず、主の再臨を待ち望む終わりの時代の患難試練にあって、神様の御心を謙遜に求め従い、私たちの人生が神の国の完成に用いられることに期待しましょう。

3.やがて神の国は完成する
人の子(イエス・キリスト)が、稲妻がひらめくように、一瞬の内に再臨され、神の国が完成します。神の国の完成において、同じように生活してきた者達の中で、一人は神の国に引き上げられ、一人は残されます。その違いは、イエス・キリストへの信仰によるのです。神様に背を向け自己中心な生き方をしてきた者は、すでに霊的に死んだ死体であり、神様のさばきが下ります(37節)。しかし私たちがこの世の患難試練の中で、神様の御心を求め従い、主にあって労苦したことは無駄にならず、全ての労苦が神の国の完成に用いられるのです。

関連聖書箇所
◎ルカの福音書4章43節
43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」

◎ルカの福音書11章20節
20しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

◎マタイの福音書24章27節
27人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。

◎マタイの福音書24章30,31節
30そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。

◎マタイの福音書24章35節
35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。

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