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2024年10月6日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<キリストの身代わりの死 ルカの福音書23章13~25節>
私たちは「使徒信条」を信仰告白する時、「ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と信仰告白しています。しかし、ピラトだけが、イエス・キリストを苦しめ、十字架に付けたのではありません。当時のユダヤ人指導者たちや民衆も、イエス・キリストの十字架の死に深く関わっています。そして私たちも、イエス・キリストの死に深く関わっているのです。人は罪なき者を罪に定めたが、罪なき者は人の罪を背負い、神様は人が犯した罪を赦した。

1.人は罪なき者を罪に定めた
ユダヤ人指導者達と民衆は、死刑判決を下し執行する権限を持っているローマ総督ポンティオ・ピラトに、イエス様に死刑判決を下すように訴えたのです。起訴内容は、『民衆を惑わした』(14節)騒乱罪でした。しかし、ユダヤ人指導者達は、イエス様への『ねたみ』(マルコ15:10)から、イエス様の死刑を願ったのです。ユダヤの民衆は、イエス様が逮捕され、目の前でローマ総督にさばかれていることでイエス様に失望し、失望の怒りからイエス様の死刑を願ったのです。ピラトは、イスラエルそして都エルサレムでユダヤ人が暴徒化することを恐れ、自己保身(自己中心)の罪から、イエス様が無実と分かっていながら、死刑判決を下したのです。私たちのねたみの罪、失望からの怒りの罪、自己保身(自己中心)な罪が、イエス・キリストを十字架に付け殺したのです。

2.罪なき者は人の罪を背負った
ピラトは、無実のイエス様を釈放するための処置を講じました。訴えているユダヤ人指導者達と民衆に、イエス様を死刑するのでなく、ムチ打つことで赦すことを提案しました。そして過越しの祭の特赦として、犯罪人のバラバと無実のイエス様を立て、無実のイエス様を選ぶように仕向けたのです。しかし彼らは、犯罪人のバラバを釈放し、ムチ打たれ衰弱した無実のイエス様を十字架に付けて殺すことを選んだのです。彼らは、ねたみの罪の奴隷、失望からの怒りの罪の奴隷でした。ピラトは自己保身(自己中心)の罪の奴隷でした。しかしイエス様は、神の御子として父なる神様の御心に自由に従い、身代わりの死を自ら選ばれたのです。無実のイエス様の身代わりの死によって、犯罪者バラバは釈放されました。バラバの釈放は、神の御子イエス・キリストの十字架の身代わりの死による罪の赦しを、暗示し象徴する出来事となったのです。

3.神様は人が犯した罪を赦した
バラバは釈放されましたが、バラバの罪が赦されたのではありません。バラバが、イエス・キリストの十字架の死と復活の御前に、自分の罪を悔い改める時、バラバの罪は赦されるのです。私たちだれもが罪を犯します。だからこそ、私たちだれもが罪を認め、罪を悔い改めなければなりません。私たちだれもに、罪の赦しが必要です。キリストの身代わりの死によって、神様は私たちの罪を赦して下さるのです。

聖書箇所
◎マルコの福音書15章10節
10 ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。

◎マタイの福音書27章20節
20 しかし祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスは殺すよう、群衆を説得した。

◎マタイの福音書21章9節
9 群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」

◎コリント人への手紙第二5章21節
21 神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。

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