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2024年8月11日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<砕かれた悔いた心 ルカの福音書22章47~62節>
本日の聖書箇所には、「失敗を失敗の母」とした人物と、「失敗を成功の母」とした人物、対照的な二人の人物が登場しています。二人の違いは、「砕かれた悔いた心」であるか、ないかの違いでした。罪を悔い改めない頑なな心でなく、罪を悔い改めた砕かれた心を、神様は蔑まず愛して下さる。

1.罪を悔い改めない頑なな心
ゲツセマネの園での祈りの直後に、イエス様は、ユダヤ議会の指導者たちに捕らえられました。イスカリオテのユダは、イエス様を裏切り、イエス様が捕らえられるための重要な役割を果たしました。イエス様は、ユダが罪を悔い改めるために、何度も警告し、逮捕される時も、『ユダ、あなたは口づけて人の子を裏切るのか』(48節)と言いました。ユダのみならず、私たちも神様を裏切り、人を裏切る罪を犯し、人を自己中心な欲望のために利用する罪を犯すことがあるのではないでしょうか。マタイの福音書は、ユダが『後悔した』(マタイ27:3)と伝えています。聖書は、ギリシャ語で見ると、『後悔する』と『悔い改める』ことを区別しています。『後悔する』とは、「個々の関心や気掛かりを変える」ことです。自己中心に物事を自分にとって有利か不利かで考える考え方そのものは何も変わっていないのです。『悔い改める』とは、「考え方の根本を変える」ことです。自己中心に生きてきた自分の考え方、生き方から、神様に立ち返ることです。私たちはどれほど「後悔」したとしても、救われません。神様に立ち返らない、罪を悔い改めない頑なな心に救いはないのです。

2.罪を悔い改める砕かれた心
ペテロは、イエス様が逮捕された後、逃げ出し、大祭司の中庭に入り込みました。イエス様が事前に予告していた通りに、ペテロは三度、イエス様を否認しました。ペテロは、イエス様との関係を否定し、イエス様の仲間との関係を否定し、イエス様の教えを否定する、深刻な罪を犯したのです。ペテロは、ユダに比べて罪が軽かったから、罪が赦されたのではありません。ペテロが罪を悔い改めたから、罪は赦されたのです。ペテロの罪の悔い改めは、イエス様の愛のまなざしに気付いたことによるのです (61節)。ペテロの罪の悔い改めは、主のことばを思い出したことによるのです (61節)。私たちもペテロのように、自己中心に生きてきた罪を悔い改め、キリストの愛のまなざしの内に、キリストに従い生きる者に立ち返ろうではありませんか。

3.神様は蔑まず愛してくださる
旧約に登場するダビデ王は、大きな罪を犯しました。しかしダビデは詩篇51篇で「神様は、罪を悔い改めた心を蔑まれない」(詩篇51:17)、と伝えています。ペテロの罪も赦されました。なぜならば、キリストはペテロの罪のためにも十字架で死に、三日目に死から復活して下さったからです。罪を悔い改めた砕かれた心を、神様は蔑まず愛して下さるのです。

関連聖書箇所
◎マタイの福音書27章3~5節
3 そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。
4 「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」
5 そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。

◎詩篇51篇17節
17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。

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