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2024年11月10日東村山キリスト教会召天者記念礼拝 説教要旨

<キリストはよみがえり、いのち ヨハネの福音書11章17~27,39~44節>
私たちの教会の教会墓地の墓石には、『わたしはよみがえりです。いのちです。』(25節)と刻まれています。私たちの死の暗闇に、天国の確かな希望を伝える聖書のことばです。キリストはよみがえりです、キリストは永遠のいのちです、信じる者は死んでも生きる。

1.キリストはよみがえりです(罪と死への勝利)
エルサレムの近郊ベタニアに、マルタ、マリア、ラザロの仲の良い兄弟姉妹が暮らしていました。ラザロが危篤になり、死にました。姉妹達は、ヨルダン川の向こう側(ベタニアから一日かかる距離)にいたイエス様に使いを送り、イエス様が危篤のラザロを癒してくれることに期待しました。しかしイエス様はラザロが死んで四日目にベタニアに到着しました。イエス様は神の御子として、ラザロが死んだことを知った上で、二日留まってラザロの死が誰の目にも明らかになってから、ベタニアに出発したのです。ラザロの死を通して、イエス・キリストの栄光が現れるためでした。イエス様は、悲しみ、イエス様を非難するマルタに、『わたしはよみがえりです』(25節)と教えました。イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目に死から復活して、私たちの罪と死に完全に勝利してくださいました。イエス・キリストの復活は、死に勝利した、天国の体、二度と朽ちない栄光の体、御霊の体での復活です。イエス・キリストの復活の前触れとして、イエス様はラザロを死から蘇生させました。ラザロの復活は、キリストの復活とは違い、朽ちる体での復活でした。イエス様にいのちの主権があることを教えるためでした。

2.キリストは永遠のいのちです(人生の勝利)
イエス様はマルタに、『わたしはいのち(永遠のいのち)』(25節)と教えました。人生の真実な勝利者は、永遠のいのちに生きる人です。『永遠のいのちは、・・・・・イエス・キリストを知ること』(ヨハネ17:3)とあるように、イエス・キリストへの信仰に生きる者に永遠のいのちが与えられます。イエス様は『わたしは、道、真理、いのちです』(ヨハネ14:6)と教えているように、イエス・キリストこそが天国に向かう人生の道、間違いのない真理の道、決して空しくならないいのちの道です。キリストは永遠のいのち、人生の勝利の道です。

3.信じる者は死んでも生きる(信仰の勝利)
マルタはユダヤ民族(神の民、選民)の一人だから、ラザロは天国に行ったと漠然と考えていたに過ぎませんでした。そのマルタに、イエス様は『わたしを信じる者は死んでも生きる』(25節)と教えました。私たちは、クリスチャンホームだから救われているのでも、教会に通っているから救われているのでもありません。私たちもマルタのように、召天した兄弟姉妹のように、『はい、主よ、あなたはこの世に来られるキリストであることを信じています』(27節)と信仰告白し、イエス・キリストへの信仰に生きようではありませんか。

関連聖書箇所
◎ローマ書6章23節
23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

◎ヨハネの黙示録2章7節
7 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』

◎ヨハネの福音書17章3節
3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。

◎ヨハネの福音書14章6節
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

◎ローマ書10章9節
9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。

●東村山キリスト教会墓地規約(1.主旨の抜粋)
教会墓地は、聖徒たちが天の御国を人生の目的地、安住の地として目指
し、この世を寄留地として力強く生き抜いた、イエス・キリストへの信仰を証しするところです。教会墓地は、召天者のために嘆き泣くことができるところです。教会墓地は、召天者の信仰の足跡を偲び、聖書からイエス・キリストの十字架による罪の赦し、死からの復活、天の御国の希望を知り、死別の悲しみから立ち上がるところです。私たちは、召天者のイエス・キリストへの信仰を、遺族と教会が受け継ぐために、教会墓地が用いられることを主に願い祈ります。

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