宣教メッセージ

2025年4月6日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<主にあって治める祝福を知る テモテへの手紙第一3章1~13節>
今朝の聖書箇所は、牧師、役員の働き(教会に仕え指導する働き)に就きたいと願うことは、『立派な働き』(1節)に就くことを求めることだと教えています。牧師、役員の働きの本質は、「主にあって治める祝福を知る」ことです。主にあって自分を治め、家庭を治める祝福を知る者は、主にあって教会を治める祝福を知る。
1.主にあって自分を治める祝福を知る
今朝の聖書箇所には、牧師、役員に就く者の資格がたくさん記されています。自己吟味することも大切ですが、細かく捉えすぎず、この働きの本質にあることを捉えることが重要です。たくさんの資格の本質にあることは、「主にあって自分を治める祝福を知っている」ことです。特に大切な項目は、「品位」(8、11節)、「威厳」(4節)です。これらはギリシャ語で見れば同じことばで、「尊さ、尊厳」ということばです。神のかたちとしての尊さに生きていることです。私達は、神様に背く罪を犯し、神のかたちとしての尊厳を踏みにじる者でしたが、キリストの十字架の死と復活を信じる信仰で罪を赦されました。私達は、聖霊が内住し、聖霊の実が実を結び、キリストに似た者に変えられることで、神のかたちとしての尊さが回復したのです。牧師、役員に就く資格は、外見の見栄えが良くても中身のない死んだ信仰ではありません。イエス・キリストと日々真実に交わる生きた信仰であることです。
2.主にあって家庭を治める祝福を知る
牧師、役員の働きに就く者の資格は、主にあって家庭を治める祝福を知っていることです。『十分な威厳をもって』(4節)とは、権威主義的に威圧的に子どもを従わせることではありません。親がまず、神のかたちとしての自分自身の尊さに気付き回復していることです。だからこそ、子どもの神のかたちとしての尊さを認めながら、子どもに接し子育てすることです。そのような主にある子育てを神様は祝福してくださいます。夫婦関係も同じです。神のかたちとしての互いの尊さを認めることで、夫婦関係が主にあって祝福されるのです。職場や地域での人間関係も、神のかたちとしての互いの尊さを認めることで、神様が私達の人間関係を祝福してくださるのです。
3.主にあって教会を治める祝福を知る
牧師、役員の働きに就く者は、信者になりたての者であってはなりません(6節)。教会がキリストの体であり、教会のかしらはキリストであることが、経験的にまだ理解できていないからです。この世の価値観や方法で教会を治める、高慢な過ちを犯すことになるからです。私達は、大牧者であるイエス・キリストの御前に謙遜にへりくだって、イエス・キリストが治めているように、教会に仕え治めることを心掛けましょう。牧師、役員の働きに就き、神様からの祝福を知りたいと願う者たちが、教会からたくさん起こされますように。
関連聖書箇所
◎ガラテヤ書5章22、23節
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
◎エペソ書6章4節
4 父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
◎創世記1章27節
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
◎イザヤ書51章3節
3 まことに、【主】はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を【主】の園のようにする。そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。

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