<人々は私を幸いな者と呼ぶ ルカの福音書1章39~56節>
イエス様の母マリアは、「マリアの賛歌」(46~55節)で、『今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶ』(48節)と言っています。マリアは、「マリアこそが、『幸いな者』についての普遍的な世界基準となった」、と言っているのです。幸いな者とは、私の心が主を大きくする人、主が私に大きなことをする人、主の恵みの大逆転が起こる人です。
1.幸いな者とは、私の心が主を大きくする人
救い主イエス・キリストを身に宿した処女マリアが預言し賛美した、「マリアの賛歌」は、『私のたましいは主をあがめる』(46節)から始まっています。『あがめる』とは、直訳すれば『大きくする』です。また47節にある『たたえる』は、直訳すれば『大喜びする』です。「私の心が主を大きくする」、その一方で、マリアは自分自身のことを『卑しいはしため』(48節)と言っています。マリアは、自分自身が神様なしに生きていくことができない『卑しい』罪人であることを認め、謙遜に喜んで自発的に仕える『はしため』(奴隷)であることを認めているのです。しかし主は、卑しいはしために過ぎないマリアに目を留め、真実な愛で愛してくださったのです。マリアは『主のあわれみ』(主の真実の愛、50、54、55節)を強調しています。主はイスラエル(神の民)に立てた真実の愛の契約を忘れることがなく、契約を成就してくださったのです。だからこそ、マリアは主の真実な愛への感謝を大きくしているのです。私達は自分を大きくし、神様を忘れる時、不幸になります。私の心が主を大きくすることから、幸いな一週間、幸いな一日、幸いな一年、幸いな人生を始めましょう。
2.幸いな者とは、主が私に大きなことをする人
マリアは「幸いな者」と呼ばれることについて、『力ある方が、私に大きなことをしたからです』(48節)と言っています。主がマリアに大きなことをしたとは、処女マリアが救い主イエス・キリストを身に宿したこと、マリアがキリストの十字架の死と復活を知ったこと、マリアが神の国の大切な働き人として用いられたことです。マリアが主に用いられた秘訣は、マリアが『主によって語られたことは必ず実現すると信じた』(45節)ことにあります。私達も、主のみことばの実現を信じることで、神の国の働きに用いていただきましょう。
3.幸いな者とは、主の恵みの大逆転が起こる人
主の恵みの大逆転が起こる起点は、『心の思い』(51節)に何があるのかです。『心の思い』に自己中心な高ぶりがある者は、権力者であっても、富める者であっても、天の御国から追い散らされ、引き下ろされ、何も持たずに追い返されます。しかし『心の思い』にある自己中心な高ぶりを悔い改め、救い主イエス・キリストが宿る者は、低い者(罪人であることを認める者)であっても、神様に飢え渇く者であっても、天の御国に集められ、引き上げられ、満ち足りるのです。マリアのように『幸いな者』となれますように。