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2025年1月1日東村山キリスト教会元旦礼拝 説教要旨

<砂漠を主の園のようにする イザヤ書51章1~8節>
私達の時代は、救い主イエス・キリストの再臨を待ち望む終わりの時代です。終わりの時代の患難試練、時代の砂漠、人生の砂漠に、私達は絶えず苦しんでいます。預言者イザヤは私達に『砂漠を主の園のようにする』(3節)ことを教えています。主を尋ね求める者よ主に聞け、主の救いは現れとこしえに続く、主が砂漠を主の園のようにする。
1.主を尋ね求める者よ主に聞け
預言者イザヤは、『義を追い求める者よ、主を尋ね求める者よ』(1節)と呼びかけています。自分の罪を認め、自分に義はないと認めるがゆえに、主の義に飢え渇き、主を尋ね求める者は、主に聞きなさいとイザヤは教えています。この世のことばよりも、主のことばに聞くことを優先することです。私達の信仰の父アブラハムとサラは、この世の岩から切り出され、この世の穴から掘り出され、天の御国に向かう旅路を始めた、神様からの祝福の見本です。アブラハムが祝福の基となったのは、アブラハムの子孫に救い主イエス・キリストが生まれるからでした。私達もキリストが内住する祝福の基として、この世の堅く冷たい岩、この世の暗い穴に再び舞い戻ることなく、天の御国を目指す旅路を続けようでありませんか。砂漠を主の園のようにするために、主を尋ね求める者よ、主に聞きなさい。
2.主の救いは現れとこしえに続く
私達は時代の砂漠、人生の砂漠だけを見ていると将来に不安を覚え、生きる希望を失います。預言者イザヤは、『主の救いは現れた』(5節)と教えています。罪のない救い主イエス・キリストがこの世界に生まれ、私達罪人の罪の身代わりとなって十字架で死に、死から復活することで、主の救いはすでに現れたのです。預言者イザヤは、さらに『主の救いはとこしえに続く』(6節)と教えています。「主の救いは現れとこしえに続く」とは、神の国の完成という神様の壮大な御計画を意味しています。すでに神の国は地上で始まり、いまだ神の国は完成せず、やがて神の国は完成します。時代の砂漠、人生の砂漠の背後に隠れている悪魔の存在に私達は常に信仰の目を向けなければなりません。砂漠を主の園のようにするために、主の救いは現れとこしえに続きます。キリストの再臨、神の国の完成という希望を見失ってはならないのです。
3.主が砂漠を主の園のようにする
主は、時代の砂漠、人生の砂漠を、主の園のようにするために、私達を用います。主が私達を救ってくださったことで、私達はキリストという新しい人を着た、尊い神のかたちに回復したのです。神様を礼拝する存在、神様と人に交わる存在、神様にあって地を治める存在、尊い神のかたちとして、私達は砂漠を主の園のようにするために用いられます。砂漠が主の園ように、喜びと楽しみ、感謝と歌声があるところになることを期待しましょう。

関連聖書箇所
◎創世記12章1~3節
【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
◎マタイの福音書24章7、8節民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。
◎Ⅱペテロ書3章12、13節
そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます
◎創世記1章27、28節
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
◎エペソ書4章24節
真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。
◎コロサイ書3章10節
新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

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