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2025年3月2日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<復活の主を礼拝する大きな喜び ルカの福音書24章44~53節>
復活の主イエス様によって弟子達の見識(物事を理解する知識)が変わったのです。弟子達の見識が変わることで、彼らの世界の見方、世界についての考え方が変わりました。そのことが、弟子達にとって『大きな喜び』となったのです。復活の主を礼拝する大きな喜びは、復活の主のみことばを聞き、復活の主が私達の心を開き、復活の主の証人となる大きな喜びです。

1.復活の主のみことばを聞く大きな喜び
ルカの福音書24章にある、復活の主イエス様に関する三つの出来事には、共通する一つのパターンがあります。①女の弟子達は、復活の証拠を見ても、天の御使いからの復活の知らせを聞いても、途方に暮れるばかりでした。御使いは、彼女達にイエス様のことばを思い出させました。②エマオの途上の二人の弟子達は、失望することで、復活の主イエス様が共に歩いていることに気付きませんでした。復活の主イエス様は共に歩きながら、聖書全体からイエス・キリストについて説き明かしました。③エルサレムの隠れ家に隠れていた弟子達は、復活の主イエス様を目撃しても、『不思議がった』のです。復活の主イエス様は、聖書(モーセの律法、預言者達の書、詩篇)から、イエス・キリストについて説き明かしたのです。弟子達は、イエス様が死から復活した出来事を目撃しても、この世の日常的、常識的な見識では、理解することができませんでした。しかし聖書全体から説き明かされたイエス・キリストについての見識から、イエス様の復活を、真実の出来事と認めることができたのです。私達の見識を変える復活の主イエス様のみことばを、大いに喜ぼうではありませんか。

2.復活の主が私達の心を開く大きな喜び
弟子達が、『聖書を悟るために』(45節)、聖書のみことばを自分のこととして納得するために、復活の主イエス様は、『彼らの心を開いた』(45節)です。私達も聖書のみことばを自分のこととして納得し、みことばが私達の心の中に落ちるために、復活の主が私達の心を開いてくださることを謙遜に求めましょう。聖書のみことばが私達の心に落ちる時、私達は信仰告白に導かれます。キリストの十字架の受難は、私の罪の身代わりとなるためでした。キリストの死からの復活は、私の罪と死に勝利した証しでした。キリストの十字架の死と復活の御前に、罪を悔い改め、罪を赦していただきましょう。復活の主イエス様が私達の心を開いてくださることを、大いに喜ぼうではありませんか。

3.復活の主の証人となる大きな喜び
復活の主イエス様は、弟子達が聖霊の力を受けることで、全世界にイエス・キリストの福音を宣べ伝える、「復活の主の証人」となることを約束しました。まさにその通りのことが起こりました。私達も、主日礼拝で、聖霊の力を受けて、復活の主イエス様と共に、それぞれの持ち場立場に遣わされ、「砂漠を主の園のようにする」働きに用いていただきましょう。

関連聖書箇所
◎ルカの福音書24章6~8節
6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。
7 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」
8 彼女たちはイエスのことばを思い出した。

◎ルカの福音書24章25~27節
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。

◎イザヤ書51章3節
3 まことに、【主】はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を【主】の園のようにする。そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。

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