<天の故郷にあこがれる ヘブル人への手紙11章8~16節>
「故郷は遠きにありて思ふもの・・・・・」(室生犀星・むろうさいせい)の詩です。私達には生まれ故郷があります。しかし召天者は、「天の故郷にあこがれた」のです。「天の故郷にあこがれる」とは、生まれ故郷にまさる、天の故郷を目指し、信仰によって生きることです。
1.生まれ故郷にまさる
今から四千年前に活躍したアブラハムの生まれ故郷は、最古の文明であるメソポタミアのウル(古代都市)でした。アブラハムは、その後、肥沃な穀物地帯の中心地であった「ハラン」で、神様からの召しが与えられたのです。ウルもハランもこの世的には豊かな土地でしたが、多神教、偶像礼拝が盛んな土地でした。アブラハムは、神様が約束した相続地に出発した時、地理的な土地は、どこなのか知らずに出て行きました。なぜならば、神様がアブラハムに約束した相続地は、『天の故郷』(天の都、天国)だと自覚していたからです。『天の故郷』は、『堅い基礎の上に建てられた都』(10節)です。一時的で不安定なこの世の土地でなく、神様が設計し建設した、永遠であり不変である都です。『天の故郷』(天国)は、神様が礼拝されているところです。神様が共にいてくださり、私達の目の涙をすっかり拭い取ってくださいます。私達の生まれ故郷であるこの世にまさる『天の故郷』が、現実に存在するのです。
2.天の故郷を目指す
『神が彼らのために都を用意された』(16節)とあるように、アブラハムが目指す天の故郷(天国)に入ることを、確かなこととして神様は約束しています。神の御子イエス・キリストがこの世に来てくださり、十字架で私達の罪の身代わりとなって死に、三日目に死から復活することで、私達の罪を赦し、死の滅びから救い、私達が天国に入れるようにしてくださいました。私達は、罪を悔い改め、砕かれた悔いた心で、イエス・キリストを信じ受け入れようではありませんか。天の故郷を目指す信仰者は、この世では『旅人』『寄留者』(13節)です。地上では未完の人生に終わります。しかしこの世が全てである空しい生き方に終わりません。信仰者は、天の故郷を目指しながら、神様から与えられた人生の課題(働き、試練)を相続地としながら、天の故郷を実現するために、日々労苦します。神様は、天の故郷を目指し、地上の旅人、寄留者として日々、労苦する信仰者を、大いに期待し喜ばれるのです。
3.信仰によって生きる
ヘブル書11章は、『信仰によって』ということばが18回使われています。
アブラハムの人生は、信仰によって生きる、終始一貫した、ぶれない人生でした。イエス・キリストの再臨を待ち望む終わりの時代、激動する時代にあって、私達は、召天者のぶれない生き方(生き様)に注目しましょう。召天者のように、生まれ故郷にまさる、天の故郷を目指し、信仰によって生きましょう。
関連聖書箇所
◎ピリピ人への手紙3章20、21節
20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。