<救い主である神の教えを飾る テトスへの手紙2章1~10節>
秋は、ファッションの秋であり、着飾る季節です。秋は、山々を紅葉が飾る季節でもあります。では、私達は私達の人生に何を飾ることができるでしょうか。『救い主である神の教えを飾る』(10節)。年配者が、若い人が、働く人が、救い主である神の教えを飾る。
1.年配者が、救い主である神の教えを飾る
使徒パウロは、クレタ島に暮らす人々を、年配者 (1~3節)、若い人 (4~8節)、奴隷(働く人、9~10節)という三つのグループに分けています。『救い主である神の教えを飾る』(10節)は、三つのグループ全てに共通しています。『救い主である神の教え』とは、聖書のみことばのことであり、キリストの十字架の死と復活のことです。使徒パウロはテトスに、『健全な教えにふさわしいことを語る』(1節)ことを教えています。聖書のみことばを、生活に届くことば、心に届くことばとして語り教えることです。年配者に、『信仰と愛と忍耐において健全にあるように』(2節)語り教える。聖書のみことばが、キリストに留まる健全な信仰に養います。聖書のみことばが、キリストに愛され愛する健全な愛に養います。聖書のみことばが、キリストの再臨を待ち望む健全な忍耐に養います。そして神に仕える者であることを日々、自覚しながら、生活し仕事をする。救い主である神の教えを人生に飾ろうではありませんか。
2.若い人が、救い主である神の教えを飾る
使徒パウロは、年配の女性達やクレタ島の牧師であるテトスが、若い人の見本となることを教えています。使徒パウロは、テモテとテトスに、パウロ自身が「主のあわれみの見本」(Ⅰテモテ1:15~16)であることを教えています。
パウロはキリスト者を迫害する『罪人のかしら』でした。キリストの十字架の死と復活によって罪が赦され、「主のあわれみの見本」とされたのです。私達も兄弟姉妹との関係、置かれた人間関係の中で、「主のあわれみの見本」として立てられていることを覚えようではありませんか。使徒パウロは、若い人に、『あらゆる点で思慮深くある』(6節)を教えています。全ての事に満点な解答を知っていることではありません。主を恐れながら、時には悩みながら、聖書のみことばをバックボーン(背骨)として物事を考え、人生を生きることです。その考え方、その生き方に神様からの祝福があります。主のあわれみの見本として、救い主である神の教えを人生に飾ることができるのです。
3.働く人が、救い主である神の教えを飾る
奴隷(働く人)は、キリストに従うように、主人(雇用主)に従うことが求められています。キリストに従うことを、主人(雇用主)から与えられた仕事や課題を実践することで、神様の栄光として現すことができるのです。奴隷はもっとも過酷な状況に置かれた人達でした。私達は、どのような境遇にあっても、救い主である神の教えを人生に飾ることができるのです。
関連聖書箇所
◎Ⅰテモテ書1章15、16節
15 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
16 しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。
◎箴言1章7節
7 【主】を恐れることは知識の初め。・・・・・
◎伝道者の書12章1節
1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
◎エペソ書6章5節
5 奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。