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2024年5月19日ペンテコステ記念伝道礼拝 説教要旨

<いのちの息吹の深呼吸 ヨハネの福音書20章19~23節>
私たちは普段、自分が呼吸していることを意識しませんが、ランニングをして息が苦しくなり、心臓の鼓動が激しくなると、自分が呼吸していること、今生きていることを実感することができます。イエス様は私たちに、『いのちの息吹の深呼吸』を教えています。真実な人となるために、罪が赦されるために、真実な平安を得るために、いのちの息吹を深呼吸する。

1.真実な人となるために
イエス様が十字架で殺された後、弟子達は逃げ出しました。彼らは隠れ家の鍵を堅く閉ざし、神様に対して、人に対して心を閉ざし、息苦しさ(生き苦しさ)を覚えていたのです。復活されたイエス様は、弟子達が閉ざした扉を素通りして、彼らの真ん中に立ちました。イエス様の死からの復活は、この世の肉体の蘇生ではありません。死に勝利したことを証する、朽ちない栄光の体、神の国の体での復活でした。復活されたイエス様は、『平安があなたがたにあるように』(ユダヤ人の挨拶のことば)を二度(19、21節)、弟子達に伝えました。弟子達が真実な平安を得るために、イエス様は、復活の主イエス様のいのちの息吹を弟子達に吹き込まれ、『聖霊を受けなさい』と命じたのです。神様が私たち人間を『神のかたち』に創造する時に、『いのちの息吹を吹き込まれた』(創2:7)のです。私たちは、真実な人となり、真実な平安を得るために、復活の主イエス様のいのちの息吹を深呼吸し、聖霊を受けようではありませんか。

2.罪が赦されるために
復活されたイエス様は、弟子達に『平安があなたがたにあるように』と言って、『手と脇腹の傷痕』を弟子達に見せました。復活の体に残っている『手と脇腹の傷痕』とは、イエス様が十字架で処刑された時に出来た傷痕でした。弟子達の息苦しさ(生き苦しさ)は、イエス様を裏切った罪が赦されていない、罪意識から来る息苦しさ(生き苦しさ)でした。復活されたイエス様は、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目に死から復活することで、私たちの罪を赦したことの確かな証拠として、復活の体に残る傷跡を見せ、『平安があなたがたにあるように』と教えています。罪が赦されるために、復活の主イエス様のいのちの息吹を深呼吸しようではありませんか。

3.真実な平安を得るために
弟子達の息苦しさ(生き苦しさ)は、自分の死に向き合い、自分の死に対する不安から来る息苦しさでした。イエス様は繰り返し、この世が与える気休めの平安とは違う、罪と死に完全に勝利したイエス様の平安を教えています。『神の中に安らぎを見つけるまで、魂は不安で休息することができない』(アウグスティヌスのことば)。真実な平安を得るために、復活の主イエス様のいのちの息吹を深呼吸しようではありませんか。復活の主イエス・キリストを私たちの心深くにお迎えしましょう。『平安があなたがたにあるように』。

説教聖書箇所
◎ヨハネの福音書20章19~23節
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」20 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

関連聖書箇所
◎創世記1章27節
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

◎創世記2章7節
7 神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。

◎ヨハネの福音書14章27節
27 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。

◎ヨハネの福音書16章33節
33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」

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