宣教メッセージ

2026年2月1日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<神に愛された人生の始まり マタイの福音書3章13~17節>
イエス様は、バプテスマのヨハネからバプテスマを授けられ、救い主キリストとしての公生涯が始まり、神に愛された人生が始まったのです。
罪人の側に立つキリストに、聖霊が降臨し、父なる神が愛する。
1.キリストは罪人の側に立つ
イエス様は、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けることを願いました。ヨハネは、イエス様にそうさせまいと拒否しました。ヨハネは、イエス様が罪のない救い主キリストと見抜いていたからです。ヨハネは罪人の一人として、イエス様から「聖霊と火とのバプテスマ」を受けることを願ったのです。イエス様は、「悔い改めのバプテスマ」から「聖霊と火とのバプテスマ」に道を開くために、罪人の側に立ってくださったのです。罪のないお方が、私達の罪を全て背負い、罪人とみなされ、父なる神様のさばきを受けることは、『正しいことを全て実現する』(14節)ことでした。私達もバプテスマを受ける時も、受けた今も、罪人の側に立ってくださった、罪のないキリストの後に謙遜に従おうではありませんか。私達も全ての正しいことを実現しましょう。
2.聖霊がキリストに降臨する
イエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受け、イエス様の救い主キリストとしての公生涯が始まりました。このことは、イエス様が救い主キリストの働きに就任した「就任式」であったと言えます。このことは、イエス様が救い主キリストとして、十字架の死と復活に向かう第一歩でした。救い主キリストの働きは、困難を極める働きであるからこそ、イエス様が救い主キリストに就任したことの確証として、『天が開け』『聖霊が降臨した』(16節)のです。聖霊による確証は、聖霊による現実的な助けとなりました。救い主イエス・キリストは、聖霊によって導かれ守られ励まされ助けられることで、公生涯を全うすることができたのです。それと同じように、キリストの後に従う私達に、聖霊が降臨し、聖霊が共にいてくださいます。聖霊が導き守ってくださるからこそ、人生の試練を通して、私達はキリスト者として成長するのです。
3.父なる神がキリストを愛する
イエス様がバプテスマを受け、救い主キリストの働きに就任した「就任式」に、『これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』(17節)との父なる神の愛の御声がありました。『これはわたしの愛する子』とは、イエス様が、「真実な王」としての救い主キリストであることを表しています。『わたしはこれを喜ぶ』とは、「苦難のしもべ」としての救い主キリストであることを表しています。イエス様は公生涯の途上で、そして十字架の死の苦しみの極みで、父なる神の愛の御声を思い巡らしたことでしょう。私達の人生の試練にもがき苦しむ時に、『これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』との父なる神の愛の御声を思い巡らそうではありませんか。
関連聖書箇所
◎イザヤ書53章12節後半
・・・・・彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

◎エゼキエル書1章1節
1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々(こうごう)しい幻を見た。

◎エゼキエル書2章2節
2 その方が私に語りかけると、霊が私のうちに入り、私を自分の足で立たせた。そのとき、私は自分に語りかけることばを聞いた。

◎詩篇2篇7節
7 「私は【主】の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。

◎イザヤ書42章1節
1 「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。

◎マタイの福音書27章46節
46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

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