<信仰を健全にする テトスへの手紙1章9~16節>
私達は旅行に出かける時、パッキング(荷造り)をします。何を持って旅行に出かけるかいつも迷います。私達が出かける時に、忘れてはならないのが、「聖書」です。クレタ島の牧師テトスは、聖書を一つ懐に入れて、クレタ島に渡ったと言えます。聖書のみことばが信仰を健全にするからです。みことばで見破り、みことばで戒め、みことばで養い、みことばで信仰を健全にする。
1.みことばで見破る
使徒パウロは、クレタ島の牧師テトスに、クレタ島の課題をみことばで見破ることを教えています。12節に『クレタ人はいつも嘘つき、悪い獣、怠け者の大食漢』とクレタ人自身が自分達について言ったことばを、使徒パウロは「そのとおり」と相づちを打っています。しかし使徒パウロは悲観的にならず楽観的に笑っていたのではないかと思います。なぜならば、みことばがクレタ人の信仰を健全にするからです。そして、自己中心な罪に生きる点において、私達とクレタ人とは大差がないのです。さらに使徒パウロは、みことばで、クレタ島でも偽教師(ユダヤ人律法主義者)が間違った信仰(異端)を教えていることを見破り、そのことをテトスに教えています。行いによる救いを教える偽教師達は、不正な利益を得るために、信者の人格を破壊し、家庭を破壊していたのです。私達は、みことばで今の時代を見破ろうではありませんか。
2.みことばで戒める
使徒パウロは、みことばでクレタ島の人々の信仰を戒め、信仰を健全にすることをテトスに教えました。偽教師達は、『ユダヤ人の作り話』(14節)を教え、系図を重視しました。それは、プライド(誇り)を持たせるためでした。日本の政治も「保守化」することで、歴史を、不都合な事実を取り除いた「作り話」へ書き換えることに注意しなければなりません。「歴史に目を閉ざす者は、現在に目を閉ざすのです」(ワイツゼッカー)。偽教師達はさらに、「真理に背を向けた人の戒め」 (14節)を教えました。彼らの間違った信仰(異端)の急所は、自分の罪を悔い改めず、罪の赦しを求めないことです。イエス様が強調したのは、見せかけの「きよさ」でなく、内面からの「きよさ」です。内面から外側に現れる「きよさ」です。私達は、罪を悔い改めることで、神様は、キリストの十字架の贖いの死と復活で私達の罪を赦し、罪人の私達を「きよい」と見てくださいます。みことばで私達の信仰は戒められ、きよめられるのです。
3.みことばで養う
使徒パウロは、クレタ人に絶望したり見捨てたりしませんでした。なぜならば、砕かれた悔いた心に、聖霊の実が豊かに実を結ぶからです。クレタ島でも、聖霊の実が豊かに実を結び、『御名をたたえる唇の果実(讃美)』(ヘブル13章15節)が豊かに実を結ぶからです。日本も聖霊の実と讃美の実に溢れる島となることに期待しましょう。みことばで私達の信仰は養われるのです。
関連聖書箇所
◎ガラテヤ書2章20節
20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・・・
◎Ⅱコリント書3章18節
18 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
◎ガラテヤ書5章22、23節
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。