宣教メッセージ

2026年2月15日東村山キリスト教会伝道礼拝 説教要旨

<真実に幸いな人生を生きる マタイの福音書4章1~11節>
この世が考える幸いな人生は、生活に困らない人生、疑いが晴れる悩まない人生、この世の栄華を手にする人生です。イエス様は、荒野で悪魔の誘惑と戦う中で、私達人間が「真実に幸いな人生を生きる」ことを明らかにしました。真実に幸いな人生とは、神のみことばで生きる人生、神に信頼して生きる人生、神を礼拝し仕え生きる人生です。
1.神のみことばで生きる人生(人生の優先順位)
悪魔は、イエス様を荒野で三度誘惑しました。パンの誘惑、奇跡の誘惑、栄華の誘惑です。悪魔は三度とも自分の正体を明らかにせず、イエス様を誘惑しています。悪魔は、イエス様が神の御子であるならば、空腹で苦しむイエス様が、荒野にある石をパンに変えて、空腹を満たせと誘惑しました。パン(自分の欲望)を第一にする誘惑でした。イエス様は、旧約聖書のみことばから、悪魔の誘惑を見破り退けました。『人はパンだけで生きるのではない』(4節)。イエス様は私達人間にパンが必要なことを知っています。しかし私達人間はパン(自分の欲望)で罪を犯します。パンが満たされても、私達の魂の飢えは解決しません。私達人間は、「神のみことばで生きる」 (4節)のです。神のみことばを第一にする時に、神様が私達の生活を満たしてくださるのです。
2.神を信頼して生きる人生(人生の生き方)
悪魔は、イエス様が神の御子であるならば、誰もがイエス様を神の御子と認めるために、エルサレム神殿の屋根の上から身を投げ、御使いが来て助ける奇跡を起こせと誘惑しました。私達は、人生の試練に苦しむ時、すぐさま神様の存在を疑います。そして神様が奇跡を起こし、私達を人生の試練から救い出し、神様の存在を証することを、私達は願い求めます。イエス様は再び、悪魔の誘惑を旧約聖書のみことばで見破り退けました。『あなたの神である主を試みてはならない』(7節)。『主を試みる』とは、神様の存在を疑うことです。私達は神様の存在を疑うことが、罪であると認めなければなりません。神様の存在を疑う私達の罪によって、イエス・キリストは十字架で死んでくださいました。私達はキリストの十字架の死と復活の愛をいつも信じましょう。神様を疑うのでなく、神様を信頼して生きようではありませんか。
3.神を礼拝し仕え生きる人生(人生の目的)
悪魔は、イエス様にこの世の栄華を見せました。そして、この世の栄華を手に入れるために、『私を拝め』と誘惑したのです。イエス様は、「神を礼拝し仕えなさい」(旧約聖書のみことば)から悪魔の誘惑を見破り退けました。「神を礼拝し仕え生きる」ことは、私達の「人生の目的」であって、「人生の手段(道具)」ではありません。私達の人生の目的は、神を礼拝し仕え、天国を目指すことです。キリストの十字架の死と復活を謙遜に仰ぎ見ながら、神を礼拝し仕え生き、天国を目指す、真実な幸いな人生を生きようではありませんか。
関連聖書箇所
◎申命記6章16節
16 あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である【主】を試みてはならない。

◎出エジプト記17章7節
7 それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「【主】は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、【主】を試みたからである。

◎マタイの福音書27章41、42節
41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。
42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。

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