宣教メッセージ

2026年3月29日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<義に飢え渇く者の幸い マタイの福音書5章1~10節②>
私たちは、物価高騰で飢え渇き、エネルギー危機で飢え渇いています。しかしイエスが私たちに教えていることは、その飢え渇きよりも、「義に飢え渇く」ことです。キリストに飢え渇く者は、キリストに満ち足りる。
1.キリストに飢え渇く
イエス様は、「山上の説教」の冒頭で「八福」(八つの幸い)を教えました。『心の貧しい者』(3節、神様に背き人に罪を犯す、みじめな罪人の自分に絶望した者)は、『悲しむ者』(4節、自分の罪に悲しむ者)、『柔和な者』(5節、自分の罪のために謙遜にへりくだる者)です。自分に義(正しさ)がないがゆえに、『義に飢え渇きます』(6節、義であるキリストに飢え渇きます)。イエス様は「パリサイ人と取税人の祈り」(マタイ18:9~14)から、義に飢え渇く者が義と認められることを教えています。イエス様は『義に飢え渇く者は幸いです』(キリストに飢え渇く者は幸いです)と教えています。キリストに飢え渇く者は、義と認められ、キリストに似た者に変えられるからです。
①キリストのあわれみ深さに飢え渇く(7節) イエス様は「良きサマリア人のたとえ」(ルカ10:30~37)で私たちに気付かせていることは、私たちのあわれみのなさです。私たちは「あわれみがない」からこそ、キリストのあわれみ深さに飢え渇こうではありませんか。
②キリストのきよさに飢え渇く(8節) イエス様が教えた『心のきよさ』とは、「純真な心」「混じりけのない心」「二心のない心」です。私たちはいつも、神様に仕える心と、この世の富に仕える心の板挟みとなる「二心」にもがき苦しんでいます。だからこそ、キリストのきよさに飢え渇こうではありませんか。
2.キリストに満ち足りる
「キリストに満ち足りる」ことにも、「神の国」と同じことが言えます。キリストに飢え渇く者は、「すでに」キリストに満ち足りているが、「いまだ」完全にキリストに満ち足りてはいない。「やがて」完全にキリストに満ち足りる。
①キリストのあわれみ深さで、キリストに満ち足りる。エリコの町の二人の盲人は、イエス様のあわれみ深さを一心不乱に願い求めました(マタイ20:30~34)。彼らの肉眼が見えるようになっただけでなく、彼らは心の目が開かれ、イエス様のあわれみ深さが見えるようになったのです。イエス様が期待していることは、イエス様のあわれみ深さを知った私たちが、隣人にあわれみ深くなることです。
②キリストのきよさで、キリストに満ち足りる。キリストの十字架の死と復活によって、私たちの心がきよくされることで、私たちは、ますますキリストを見ることができるようになります。そして、私たちは、ますます神様に愛されている自分を見ることができるようになります。キリストに飢え渇く者は、キリストに満ち足りるのです。
関連聖書箇所
◎「パリサイ人と取税人の祈り」(ルカの福音書18章9~14節)
○ルカの福音書18章9節
9 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
○ルカの福音書18章14節 14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
◎「良きサマリア人のたとえ」(ルカの福音書10章30~37節)
○ルカの福音書10章30~33節30 イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。31 たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。
◎マタイの福音書6章24節 24 だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
◎ヤコブ書4章8節 8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。
◎「エリコの町の二人の盲人のいやし」
○マタイの福音書20章30~34節 30 すると見よ。道端に座っていた目の見えない二人の人が、イエスが通られると聞いて、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。31 群衆は彼らを黙らせようとたしなめたが、彼らはますます、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。32 イエスは立ち止まり、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」33 彼らは言った。「主よ、目を開けていただきたいのです。」34 イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた。すると、すぐに彼らは見えるようになり、イエスについて行った。
◎Ⅰヨハネ3章2~3節 2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。3 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。

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