<平和を造る者の幸い マタイの福音書5章3~12節③>
イエス様の時代は、「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)と言われた時代でした。ローマ帝国の圧倒的な軍事力、経済力、政治力で、地中海世界に平和が保たれていた時代でした。しかしその平和は、「暴力で造り出した見せかけの平和」に過ぎませんでした。今の時代、「パックス・アメリカーナ」(アメリカの平和)にも同じことが言えます。イエス様は、軍事力も、経済力も、政治力も、何も持っていないイエス様の弟子達に、「平和を造る者の幸い」を教えました。
キリストにあって平和を造り、キリストのために苦しむ者に、神の国で大きな報いがある。
1.キリストにあって平和を造る
25年前、ロバート・ベラー(アメリカ人宗教社会学者)は、2001年9月11日にアメリカで起きたイスラム過激派による同日多発テロの後、「敵に似れば三度の敗北」とアメリカに警告しました。三度の敗北とは、大量破壊兵器の使用、大統領への権力の集中、テロ国家となることでした。私たちは、敵対関係にある者に似ることで同じ過ちを犯します。暴力で見せかけの平和を造れても、真実な平和を造り出すことはできません。私たちはなぜ戦争をするのか。そのことを聖書は私たちの欲望、憎しみ、恐れ、不安という、私たち人間の内面にある罪に原因があると教えています(ヤコブ書4章1,2節)。暴力によって、敵対する者達を攻撃し排除しても、私たちの内面にある憎しみ、恐れ、不安は取り除くことができません。暴力と憎しみの連鎖に陥ることになります。だからこそ、イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に復活して、神様との和解、人との和解を与えてくださったのです。『心の貧しい者』(神様の御前で自分の罪に絶望する者)が、『義に飢え渇く者』(キリストに飢え渇き、キリストに満ち足りる者)となります。キリストに似た者に変えられることで、キリストにあって平和を造る者となることができるのです。
2.キリストのために苦しむ者
イエス様が教えた「八福」の中で、最も「幸い」と認めることが難しいのが、『義のために迫害される者の幸い』(10節、キリストのために迫害される者の幸い)です。なぜキリスト者はキリストのために苦しむのでしょうか。それは、この世の価値観に反する神の国の価値観を身に付け、この世で現実に神の国の価値観で生きるためです。キリスト者は、キリストのために苦しむことで、神の国の価値観をこの世で証することができるのです。だから幸いです。
3.神の国で大きな報いがある
この世で、キリストにあって平和を造ることで労苦し、キリストのために苦しむことに忍耐するキリスト者に、神の国で大きな報いがあります。神の国で義の栄冠を授けられ、イエス様から「よくやった、忠実な良いしもべだ」とほめられるのです。だから今から喜びましょう。大いに喜びましょう。
関連聖書箇所
◎ヤコブ書4章1,2節
1 あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。
2 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。
◎Ⅱテモテ書4章8節
8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。
◎マタイの福音書25章21節(23節)
21 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』