<キリストを心に留める テモテへの手紙第二1章15節~2章13節>
専門家が見る着眼点と、一般の人が見る着眼点には違いがあることを、「目の付け所が違う」と言います。聖書は、私たちの人生が真実に祝福された人生となるための、この世との「目の付け所の違い」を教えています。聖書が教える「目の付け所」は、『キリストを心に留める』ことです。キリストの恵みで強められ、キリストとともに治める。キリストは常に真実である。
1.キリストの恵みで強められる
ローマ帝国による組織的な迫害が始まったことで、テモテが牧会するエペソ教会でも、迫害を恐れ、多くの者たちが教会を離れました。その一方で「オネシポロ」(1:16)のように熱心に仕え奉仕する者もいました。その違いは、『キリストの恵みで強められる』(1節)ことでした。『キリストの恵みで強められる』ために、パウロは『キリストを心に留めていなさい』(8節)と教えています。私たちが迫害の時も、試練の時も、私たちの心を留め続ける『キリスト』は、ダビデ王家の子孫であり、この地上で生きた王の王、主の主です。そして、死から復活し、私たちの罪と死に勝利して、今も生きているお方です。私たちが『キリストを心に留める』とは、『キリストとともに死ぬ』(11節)ことです。自己中心、身勝手な古い自分は死んだのです。そして『キリストとともに生きる』(11節)のです。キリストと一つとされ、復活の力に生かされるのです。いつも『キリストを心に留め』、キリストの恵みで強くされるのです。
2.キリストとともに地を治める
使徒パウロは、私たちがいつも、『キリストを心に留める』ことで、『キリストとともに王となる』(12節)、つまり「キリストとともに地を治める」ことを、三つの短い例話で教えています。
①キリストの兵士として (3~4節)。 キリストを第一とした生活、仕事、学びをすることです。
②キリストの競技者(アスリート)として (5節)。 キリストへの信仰を現実に生きることです。ならば神の力、聖霊の力が、キリスト者に現実に働きます。
③キリストの農夫として (6節)。 信仰の労苦をすることです。信仰の労苦をすることで、神の国の豊かな実りに期待することができるのです。
3.キリストは常に真実である
使徒パウロは、ローマ帝国の組織的な迫害に苦しみ、殉教の死を前にしながらも、なおも、『キリストを心に留めなさい』と教えています。なぜならば、『キリストは常に真実である』(13節)からです。今の時代は、真実が見えにくい、混乱した時代です。だからこそ、キリストを心に留め続けようではありませんか。そして、キリストの恵みによって強くされ、キリストとともに地を治めましょう。キリストは常に真実なのです。
関連聖書箇所
◎ローマ書6章4節前半(キリストとともに死ぬ)
4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。・・・・・
◎ローマ書6章6節(キリストとともに死ぬ)
6 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
◎ローマ書6章4節後半(キリストとともに生きる)
・・・・・それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
◎ローマ書6章5節(キリストとともに生きる)
5 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
◎ローマ書6章8節(キリストとともに生きる)
8 私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。
◎Ⅰコリント書1章18節
18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
◎詩篇126篇5,6節
5 涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
6 種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。
◎ヨハネの福音書14章6節
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。