<心の貧しい者の幸い マタイの福音書5章1~10節>
「心の豊かな者は幸いです」、これがこの世の常識です。しかしイエス様は、『心の貧しい者は幸いです』(3節)と教え、この世の常識をひっくり返しています。心の貧しい者は幸いです。神の国はその人達のものだから。
1.心の貧しい者は幸いです
イエス様がなさった説教である「山上の説教」(全体で三章)は、マタイの福音書(全体で二十八章)の一割を占め、マタイの福音書を特徴付けています。イエス様は、「山上の説教」の冒頭にある「八福」(八つの幸い)で、キリスト者の特徴(性質)を教えています。「八つの幸い」の最初にある「心の貧しい者の幸い」を、後の「七つの幸い」が説明していると言えます。『心の貧しい者』とは、『霊において貧しい者』のことであり、神様の御前で自分の貧しさに気付いた者のことです。3節の『貧しさ』は、「金欠の貧しさ」でなく、自己破産し自力では回復することができない「徹底的な貧しさ」です。神様に背き人に対して罪を犯してきた、自分のみじめな罪人の姿に気付き、絶望している人のことです。『悲しむ者』(4節)とは、『心の貧しい者』(3節)の説明です。自分の罪に、自分の罪の結果としての死の滅びに、死の滅びに向かう人生に悲しむ者のことです。『柔和な者』(5節)も、『心の貧しい者』(3節)の説明です。自分の罪のために謙遜にへりくだる者のことです。神様なしに(イエス様なしに)、一瞬たりと生きることができない、自分がみじめな罪人であると気付いた、心の貧しい者は幸いです。
2.神の国はその人達のもの
『心の貧しい者』(悲しむ者、柔和な者)は、『義に飢え渇き』(6節)ます。「義」であるイエス・キリストに飢え渇きます。そしてイエス・キリストの十字架の死と復活によって罪が赦され、『天の御国』(神の国)に入る者とされます。「神の国」とは、神様の御支配のことです。イエス・キリストがこの世界に来られ、十字架で死に、復活することで、地上で「すでに」神の国が始まりました。しかし「いまだ」神の国は完成せず、「やがて」イエス・キリストが再臨される時に、神の国が完成します。私たちは神の御支配のもとに生きることで、「山上の説教」の高い倫理観を実現できる者に少しずつ変えられます。しかし神の国の完成において、その完全な実現を見るのです。神様の御支配のもとで生きる幸いを、イエス様は4、5節で説明しています。自分の罪に悲しむ者は、神様の御支配のもとに生きることで、神様が慰めてくださるのです(4節)。終わりの時代、暴力が世界を支配しているように思えます。しかし『柔和な者』(自分の罪のために謙遜にへりくだる者)は、地に始まった神の国を受け継ぐのです(5節)。完成した神の国を治めるのは、キリストとの共同相続人として立てられた『柔和な者達』です。心の貧しい者は幸いです。神の国はその人達のものだからです。
関連聖書箇所
◎ヨハネの黙示録7章15~17節
15 それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。
16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。
17 御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」
関連文書
◎「病まなければ」詩
病まなければ、ささげ得ない祈りがある。
病まなければ、信じ得ない奇跡がある。
病まなければ、聞き得ないみことばがある。
病まなければ、仰ぎ得ないみ顔がある。
ああ、病まなければ、私は人間でさえあり得ない。
◎ハイデルベルグ信仰問答「ただ一つの慰め」の抜粋
○問:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
○答:私が私自身のもではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実
な救い主イエス・キリストのものであることです。・・・・・