宣教メッセージ

2025年3月16日東村山キリスト教会伝道礼拝 説教要旨

<神のあわれみの見本 テモテへの手紙第一1章12~17節>
私たちが考える『見本』とは、「立派な人」「社会的に模範となる人」「社会的に成功した人」のことではないでしょうか。しかしパウロは自分のことを、『神のあわれみの見本』と言っているのです。私たちは罪人であるが、キリストがこの世に来て、キリストが罪人を救う。
1.私たちは罪人である
パウロは、自分のことを『罪人のかしら』(15節)と言っています。パウロは、イエス・キリストに出会う前、サウロと言われた時代、割礼、律法、血筋、家柄、学歴を誇り自慢し、そのことに「自分の正しさ」を見出していたのです。そしてサウロは、サウロなりの正義感から、ユダヤ教の指導者たちの許可を得て、キリスト者を迫害し、牢屋に入れ、死に至らせていたのです。パウロは、サウロ時代の自分を振り返って、神様を冒瀆する罪を犯し、キリスト者を迫害し暴力をふるう罪を犯していたと言っています(13節)。しかしサウロ時代のパウロは、その罪に気付いていなかったのです(13節)。なぜならば、サウロは、自分の正しさだけを見て、自分の罪に目を閉ざしていたからです。現代社会では、「モラハラ(モラルハラスメント)」「パワハラ」「カスハラ(カスタマーハラスメント)」が社会問題として注目されています。自分の正しさだけを見て、自分の罪に目を閉ざすことに問題の原因があるのです。
2.キリストはこの世に来た
私たちは、なぜ自分の正しさだけを見て、自分の罪に目を閉ざすのでしょう
か。それは、自分の罪に目を向けることで、苦しむことを避けたいからです。
本能的に、自分が犯した罪に対して絶望する以外、他にないと知っているからです。神様は、私たち人間には解決することができない、罪と死の問題を解決するために、罪のない神の独り子であるイエス・キリストをこの世界に送ってくださいました。罪のないイエス・キリストは、私たち罪人の罪の身代わりとなって、私たちの罪の全てを背負い、十字架の上で、父なる神様のさばきを受けて、死んでくださいました。そして、死から三日目に復活し、私たちの罪と死に完全に勝利してくださったのです。
3.キリストは罪人を救う
サウロは、キリスト者を捕まえ牢屋に入れ殺害する意に燃えて、ダマスコに向かう途上で、復活の主イエス様が出会いました。そしてサウロが迫害し苦しめていたのが、他ならない、生きておられる神様、イエス・キリストであることを知ったのです。目に見えなくとも復活の主イエス様が立ってくださっています。私たちの心の扉を叩いています。復活の主イエス様を、私たちの心にお迎えしようではありませんか。イエス・キリストと共に生きる、罪を赦された祝福の人生を始めましょう。パウロのように、『神のあわれみの見本』として用いていただきましょう。
関連聖書箇所
◎ピリピ書3章5~6節
5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
◎使徒の働き26章9節
9 実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。
◎使徒の働き26章11節
11 そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。
◎使徒の働き22章4節
4 そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。
◎ルカの福音書23章34節
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
◎使徒の働き9章1~6節
1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
◎ヨハネの黙示録3章20節
20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

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