<あなたはどこにいるのか 創世記3章1~13節>
19世紀の印象派の画家であった「ポール・ゴーギャン」は、タヒチ島で暮らし、明るい色彩の絵を描きました。しかし彼の遺作(代表作)となった絵は、背景が青黒い、暗い印象の絵でした。その絵の中に彼は直筆で、「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこに行くのか。」と書き込んだのです。神様に背いた私達人間が、過去、現在、未来において自分自身を見失った絶望のことばと言えます。しかし神様はそのような私達人間を、『あなたはどこにいるのか』、と愛の御声で呼んでいるのです。私達人間は、神の善悪の知識を得ていたが、神なしの善悪の知識を求めた。神様は愛の御声で呼んでいる。
1.神の善悪の知識を得ていたが
神様は、エデンの園の中央に『いのちの木』(創2:9、永遠のいのちを象徴する木)と『善悪の知識の木』(創2:9)を生えさせました。神様は私達人間に、『善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたがたは必ず死ぬ』(創2:17)という一つの戒めを守ることを命じました。私達人間は、戒めを守ることで、すでに神様の善悪の知識を得ているのです。「神の善悪の知識」とは、神様に従うことが善(良いこと)です。神様に背くことが悪なのです。私達人間が、神様を礼拝し、神様と交わり、人と交わり、神の善悪の知識を用いて、神様が地を治めているように、地を治める時、『見よ、それは非常に良かった』(創1:31)のです。
2.神なしの善悪の知識を求めた
蛇の背後にいる悪魔が、女性を誘惑しました。悪魔の目的は、私達人間が神様に背く罪を犯すことで、永遠のいのちを失い、死の滅びに向かう空しい存在になることです。悪魔はことば巧みに女性を誘惑した後、『あなたがたは決して死なない』(4節)と神様のみことばを大胆に変えているのです。そして、神様に背く罪を犯す時、『目が開かれる』『神のようになる』『善悪を知る者になる』(5節)と誘惑したのです。『目が開く』とは、神様の視点からでなく、人間的な視点で自分を見ることです。その結果、人間は自分の存在を恥ずかしく思うようになりました。『神のようになる』とは、神様なしで、人間が神のようになることで高慢な存在になることでした。『善悪を知る』とは、神様なしの善悪の知識を得ることであり、私達人間は自分の存在を見失うことになったのです。私達人間は、神様に背くことで、罪の現実に苦しむことになったのです。
3.神様は愛の御声で呼んでいる
神様からの戒めを破り、神様に背いた私達人間は、神様の御顔を避けるようになりました。しかし神様は、私達人間が今どこにいるのか、罪を犯した全てを知っていながら、『あなたはどこにいるのか』、愛の御声で呼んでいます。
イエス・キリストの十字架の死と復活の御前で、神様に背いた罪、人に犯した罪を悔い改めようではありませんか。
関連聖書箇所
◎創世記1章27、28節
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
◎創世記1章31節
31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。・・・・・
◎創世記2章7節
7 神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
◎創世記2章8、9節
8 神である【主】は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。
9 神である【主】は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
◎創世記2章15~17節
15 神である【主】は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」