<良い行いは明らかになる テモテへの手紙第一5章17~25節>
私達が行った良い行いがすぐに成果として現れなくとも、私達は忍耐し待たなければなりません。『良い行いは明らかになる』(25節)のです。
指導者を尊敬しなさい、自分を清く保ちなさい、良い行いは明らかになる。
1.指導者を尊敬しなさい
テモテへの手紙第一5章1節~6章2節で、使徒パウロは、教会での様々な人間関係での対処の仕方について教えています。本日の聖書箇所では、特に教会での長老(牧師)への対処について教えています。『よく指導している長老』(17節)とは、大牧者イエス・キリストの後に従って、良い養いをしている牧師のことです。『みことばを教えるために労苦している長老』(17節)とは、兄弟姉妹をみことばで養うために日々労苦している牧師のことです。『二倍の尊敬を受ける』(17節)とあるように、牧師は十二分な生活的なサポートとしての報酬を受けるべきなのです。その根拠として、働いている牛が働きからえさを食べることが許されていたのです(18節)。またイエス様が、福音を伝える働き人が報酬を得ることを認めていたのです(18節)。牧師が生活に困らないように生活をサポートするという良い行いは、回り回って、私達への神様からの祝福となります。私達は、牧師を通して、神様からの良き指導を受け、みことばで養われることで、必ず神様から祝福されます。教会が祝福されるのです。
2.自分を清く保ちなさい
『自分を清く保つ』(22節)とは、『先入観なしに守り、何事もえこひいきせず行う』(21節)ことです。自己中心な先入観から物事を見ること、自分に有利に働くようにえこひいきすることが、「自分を汚す」ことになります。そのような罪を悔い改めながら、神様の御心を謙遜に求め従う時に、私達は『自分を清く保つ』ことができます。「牧師に対する訴え」という難しい問題が起こった時も、『二人、三人の証人がいる』(19節)ことを確かめ、神様の御心を求め従った対応を取らなければなりません。「罪が明らかになった場合」(20節)には、えこひいきすべきではありません。しかし戒規は切り捨てるための処置でなく、罪の悔い改めに導くための、キリストの愛に基づく処置であることを忘れてはなりません。「牧師に任命する按手」(20節)も、適性を見極めながら、神様の御心を謙遜に求め従った按手を行うべきです。教会は様々な困難な課題に直面しますが、自分を清く保つ良い行いは必ず明らかになるのです。
3.良い行いは明らかになる
犯した罪は、地上生涯の中で罰として明らかにならないことがあったとしても、神様の最後の審判の時に、必ず明らかになり、罪はさばかれます。しかし、キリストの十字架で罪は赦されます。同じように、良い行いもこの地上で報われないことがあっても、主にあって労苦した全ての良い行いは、神の国の完成に用いられることで報われ、明らかとなります。
関連聖書箇所
◎申命記25節4節
4 脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない。
◎ルカの福音書10章7節
7 その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。
◎Ⅰコリント書15章58節
58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。