宣教メッセージ

2025年5月18日東村山キリスト教会新設教会墓地記念礼拝 説教要旨

  • <私達の国籍は天国にあります ピリピ人への手紙3章17~21節>
    私達の願いは、信仰の継承のために、新設教会墓地が用いられることです。召天者が、『私達の国籍は天国にあります』と信仰告白したように、私達も信仰告白できることです。『私達の国籍は天国にあります』、私達の人生の目的、私達の人生の戦い、私達の人生の報酬です。
    1.私達の人生の目的
    使徒パウロは、ローマの獄中からピリピ教会に手紙を送りました。パウロは、「信仰に生きている」パウロに倣うことを願っています。「信仰に生きる」とは、「天国の市民」としてこの世で生きることです。ピリピの人達にとって、『国籍』(20節、「市民権」「市民として生きる」)ということばは、理解しやすいことばでした。ピリピの人達の多くは、「ローマ市民」(特権階級)であり、そのことに誇りを持っていたのです。しかし、パウロが教えたのは、「ローマ市民」でなく「天国の市民」であることです。「天国の市民」であることに比べれば、「ローマ市民」であることは塵芥(ちりあくた、ゴミ)にすぎないのです。「天国の市民として生きる」とは、『生きることはキリスト、死ぬこともまた益です』(1:21)、とキリスト中心の人生を生きることです。「天国の市民」となることは、世襲制でも、人間的な努力によってでもありません。キリストの十字架の死と復活を、砕かれた悔いた心で信じる信仰によるのです。すでに天国に国籍のある「天国の市民」として天国を目指そうではありませんか。
    2.私達の人生の戦い
    天国に国籍のある「天国の市民」は、この世では「寄留者」(一時滞在者)「旅人」として生きる、信仰の戦い、人生の戦い、この世との戦いが、生涯続きます。パウロは、『キリストの十字架の敵として歩む』(19節)この世との三つの戦いを教えています。①欲望を神とするこの世との戦い。日本社会では常識となっている、自分の欲望のために神を利用する神観との戦いです。②恥ずべきものを栄光とするこの世との戦い。自分の名誉(自慢)を栄光とするこの世との戦いです。③地上のことだけを考えるこの世との戦い。
    私達は、「天国の市民」この世の寄留者として、この世との戦いが、地上生涯の最後の時まで続きます。そして、地上の相続地として神様から与えられた人生の課題に、イエス・キリストへの信仰で応える戦いが生涯続きます。しかし全ての労苦は無駄にならず、神の国の完成に用いられるのです。
    3.私達の人生の報酬
    天国から救い主イエスが来られる時、今の天地は崩れ去り、新天新地(全てが天国になる世界)が完成します。地上で行う毎週の主日礼拝は、天国で行われる壮大な礼拝のリハーサル(予行演習)です。天国で、私達は召天者と再会し、二度と朽ちない栄光のからだに変えられて、愛するイエス・キリストを礼拝する、その壮大な礼拝を胸躍らせながら、待ち望もうではありませんか。
    ●東村山キリスト教会墓地規約 1.主旨の抜粋
    『1.主旨 教会墓地は、聖徒たちが天の御国を人生の目的地、安住の地として目指し、この世を寄留地として力強く生き抜いた、イエス・キリストへの信仰を証しするところです。
    教会墓地は、召天者のために嘆き泣くことのできるところです。
    教会墓地は、召天者の信仰の足跡を偲び、聖書からイエス・キリストの十字架による罪の赦し、死からの復活、天の御国の希望を知り、死別の悲しみから立ち上がるところです。
    私達は、召天者のイエス・キリストへの信仰を、遺族と教会が受け継ぐために、教会墓地が用いられることを願い祈ります。』

●聖書関連箇所
◎ピリピ書1章20,21節
20 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。

◎ヘブル書11章13節
13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。

◎ヘブル書11章16節
16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。

関連記事