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2024年1月28日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<永遠のいのちを受け継ぐために ルカの福音書18章15~27節>
『ある指導者』はイエス様を「人生の鑑定士」と見込んで、彼の宝である人生が、『永遠のいのちを受け継ぐ』本物の人生か、偽物の人生か、鑑定を依頼したのです。イエス様は『永遠のいのちを受け継ぐために』、自分の正しさに生きず、自分の罪を悔い改め、イエス様に従い生きることを教えて下さいました。

1.自分の正しさに生きない
『ある指導者』とは、ユダヤ最高法院(議会)の71人の一人でした。共観福音書から分かることは、彼は『青年』であり、『大変な金持ち』(23節)でした。「指導者」は、イエス様に『何をすれば、永遠のいのちを受け継ぐことができるか』(18節)と質問していることから、自分の正しい行いによって、永遠のいのちを受け継ぐことができると考えていたことが分かります。イエス様との対話から、指導者は品行方正で、人様から後ろ指を指される生き方をしてこなかったことが分かります。しかし「指導者」は、自分の正しさに生きてきた人生が、永遠のいのちを受け継ぐ本物の人生か不安があったのです。『良い先生』(指導者にとって「神様のような先生」)に尋ねたのです。イエス様は『良い先生』(神様であるお方)として真実を伝えています。どれほど若く有能でも、社会的地位が高くても、多額の財産があっても、品行方正でも、自分の正しさに生きる人生は、永遠のいのちを受け継ぐことができないのです。

2.自分の罪を悔い改める
イエス様は、『良い先生』(神様であるお方)として、「指導者」にモーセの十戒(20節)を教えています。モーセの十戒を完全に真実に守り行うことができる『良い方は神おひとりのほか、だれもいません』(19節)。モーセの十戒は、人間関係を生きるエチケットを教えているのでなく、私たちの心の奥底まで踏み込む戒めです。「指導者」は、外見の正しさでなく、内面で神様に背き人に犯す罪を認め、罪を悔い改めるべきでした。イエス様は「指導者」の急所を突いています。イエス様は22節のみことばから、「指導者」は自分の財産に頼り、神様に頼っていない自分の罪に気付き『非常に悲しんだ』(23節)のです。自分の財産に頼った正しい行いでした。私たちも、この世のものに頼り、神様に頼らず、神様を後回しにする罪を悔い改めようではありませんか。

3.イエス様に従い生きる
マルコの福音書は、『イエスは彼を見つめ、いつくしんで』(マルコ10:21)とあるように、イエス様は、自分の財産に頼り、神様に頼ろうとしない「指導者」の罪の身代わりとなって十字架で死に、死から復活して下さいました。永遠のいのちを受け継ぐために、『人にはできないことが、神にはできるです』(27節)。イエス様が「指導者」に求めていることは、幼子のようにイエス様と親しく交わり従い生きることでした。自分の正しさに生きず、自分の罪を悔い改め、イエス様と親しく交わり従い生きる者が永遠のいのちを受け継ぐのです。

関連聖書箇所
◎マルコの福音書10章21節
21 イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」

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