<主にある人格の尊さ テモテへの手紙第一5章1~16節>
私達の時代は、「ハラスメント」(嫌がらせ)ということばが脚光を浴びる時代ですが、神様は私達に、「主にある人格の尊さ」を教えています。
主にある人格に回復し、主にある人格を尊重し、主にある人格が養われる。
1.主にある人格に回復する
パウロは、今朝の聖書箇所で、「年配者の兄弟姉妹との関係」「若い兄弟姉妹との関係」、そして「年配者のやもめへの教会の配慮」を教えています。教会の中で人間関係を築く上で、最重要なことは、聖書が教える人間観をしっかりと持っていることです。神様は私達人間を『神のかたち』(創世記1:27、28)に創造し、尊い存在として創造しました。しかし私達人間は神様に背き自己中心な生き方をすることで、『神のかたち』を傷付けました。神様はそのような私達を滅ぼすことをせず、深く憐れみ、神の御子キリストの十字架の贖いの死と復活によって、私達の罪を赦しました。そして傷付いた私達の『神のかたち』が回復したのです。教会に集う全ての者が、男女の区別なく、社会的な弱者であっても、一人の例外なく、『神のかたち』に回復した尊い存在です。そして、神様が『神のかたち』に回復することを願っている尊い存在です。
2.主にある人格を尊重する
パウロは、全ての年代の男性女性に対して、主にある人格の尊さを認め尊重した接し方をすることを、三つの点から教えています。①頭ごなしに叱ってはいけない。主にある人格を無視したような「叱り方」をしてはいけません。自分の価値観を一方的に押し付けるのでなく、相手を理解する努力が必要です。②家族のような愛情また純粋な愛で接する。イエス・キリストが愛してくださったからこそ、キリストの愛に倣った、純粋な愛で兄弟姉妹を愛する。③慰め励ます接し方をする。兄弟姉妹に聖霊(助け主、慰め主)が働きをなしているように、私達は接する。そうするために、その人のためにとりなしの祈りを祈り、主の御心を求めながら接する、必要な時は指導する。3節にある『大事にしなさい』ということばは、『敬う』(尊重する)ということばです。私達は、全ての年代の男性女性に対して、また社会的に弱い立場に置かれた人達に対して、主にある人格を尊重した接し方をしようではありませんか。
3.主にある人格が養われる
パウロは『本当のやもめ』について教えています。厳しい境遇だからこそ『望みを神に置いている』『夜昼絶えず神に願いと祈りをささげている』(5節)、『全ての良い行いに励んでいる』(10節)。また、社会的な弱者を介助する家族が、困難さの中で現実に信仰に生きること、そして愛することを学ぶことが、神様から喜ばれることであると教えています(4節)。どのような境遇にあったとしても、私達は主にある人格が養われ、霊的に成長することができるのです。そのために、私達は祈り仕え労する者でありましょう。
関連聖書箇所
◎創世記1章27、28節
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
◎コロサイ書3章9、10節
9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
◎Ⅰコリント書8章11節
11 つまり、 その弱い人は、あなたの知識によって滅びることになります。この兄弟のためにも、キリストは死んでくださったのです。
◎ヨハネの福音書13章34節
34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。