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2024年7月14日東村山キリスト教会主日礼拝 説教要旨

<将来への確かな希望 ルカの福音書22章14~23節>

キリストの再臨を待ち望む終わりの時代に、私たちは、絶えず患難試練に試みられ、苦しめられ、失望しそうになります。イエス様は、聖餐式を制定することで、将来への確かな希望としてくださいました。過越の祭りが聖餐式を予型したように、聖餐式は主の十字架を記念し、神の国の完成を予型する。

1.聖餐式の過去(過越の祭りが聖餐式を予型した)
イエス様は受難の一週間において、「過越の食事」の中で「聖餐式」を制定することを『切に願って』(15節)いたのです。『切に願う』ということばは、イエス様の願いが強調されたことばです。イエス様は、信仰者が終わりの時代の患難試練に耐え抜くことができるように、聖餐式が将来への確かな希望となることを切に願っていたのです。「聖餐式」の原型となった「過越の祭り」は、イスラエル人がエジプトの奴隷から解放された「出エジプト」を記念する祭りでした。過越の祭りで屠られた「過越の子羊」は、「過越の子羊キリスト」を予型していたのです。イエス様は、聖餐式を制定する中で、過越の子羊の血による「古い契約」が、過越の子羊キリストの尊い血(いのち)による『新しい契約』に更新されたことを教えています。キリストの十字架の贖いの死と復活によって私たちの罪は赦され、聖霊が内住してくださり、私たちがキリストに似た者に変えられることで、「古い契約」(十戒、律法)を守れる者に私たちは変えられて行くのです。神様が予型し予言したことは、必ず成就するのです。

2.聖餐式の現在(聖餐式は主の十字架を記念する)
聖餐式で配餐される「パン」と「ぶどう液」は、キリストの十字架の贖いの死と復活を象徴しています。『わたしを覚え、これを行いなさい』(19節)とあるように、聖餐式の「パン」と「ぶどう液」を食する意味を、三つの点から見ることができます。
①キリストの臨在を覚える(19節)。目に見えないキリストの臨在を、目に見える「パン」と「ぶどう液」が証する。
②キリストによる罪の赦しを覚える(マタイ26:27,28)。罪の赦しを感情感覚に左右されず、「パン」と「ぶどう液」という客観的事実として知る。
③キリストによる教会の一致を覚える(Ⅰコリント10:16,17)。キリストの十字架の贖いの死によって、神様と和解し、人と和解し、キリストにあって一つとされる。

3.聖餐式の未来(聖餐式は神の国の完成を予型する)
イエス様は、聖餐式の過去、聖餐式の現在(意味)のみならず、聖餐式の未来として、聖餐式は神の国の完成(16、18節)を予型していることを教えています。聖餐式は、神の国の完成(神の国の祝宴)の喜びを予型しているのです。
①キリストの臨在を目で見る喜び。
②罪と死から完全に解放された喜び。
③キリストにあって万物が和解する喜び。私たちは、患難試練に苦しむ終わりの時代にあって、「聖餐式」を「将来への確かな希望」として、切実な思いで切望しようではありませんか。「聖餐式」が私たちの信仰を強くするのです。

関連聖書箇所
◎エレミヤ書31章31~33節
31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。
33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
◎マタイの福音書26章27、28節
27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

◎Ⅰコリント書10章16、17節
16 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
17 パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。

◎Ⅰヨハネ3章2節
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。

◎ヨハネの黙示録21章4節
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

◎コロサイ1章20節
20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。

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